第25回 毎日俳句大賞

【選句体験記・その後】

心への贈物パート2

文・奈良部美幸

 東の空がかすかに色付き、寒い一日が始まろうとしている。配達されたばかりの新聞を小脇に抱え小走りに家の中へ戻る。いつもと同じ新聞紙のインクの匂いが鼻につく。ついに、待ち遠しかった第25回毎日俳句大賞、発表の日が来たのだ。

 

 私は、2022年(令和4年)1月31日(月)の毎日新聞、朝刊19面を大切な宝石箱の蓋を開けるように静かに広げた。何と、大賞受賞者が二人いらっしゃる。「甲乙つけがたし」とは、まさにこのことか。

 

 大賞、こどもの部最優秀賞を受賞された方々の俳句の素晴らしさは言うに及ばず、受賞者三人のお顔は、「きりっ」と引き締まり、人生の目標を持ち確固たる自信に溢れたまなこは、真っ直ぐ前を見ている。

 

 今の私の生き様とは雲泥の差だ。私は、俳句の勉強を怠ってきたがための未熟な実力を嘆き、悔やむだけの私憤のかたまりにすぎない。何ともはずかしい限りだ。

 

 そして、時を少しずらし、新設「読者賞」の発表の日が来た。私は、その時を待った。戻らぬ恋人を待つかのように、その発表の日を待ち焦がれた。

 

 毎日俳句大賞公式ホームページをクリックしようと手の甲を伸ばす。しかし、訳あって仮住まい中の住居はかなり狭い。四畳半の部屋に置かれた炬燵を囲んで、我先にと焦る家族とパソコン画面の奪い合いが勃発してしまった(私の所有する携帯は、通称ガラケーのためインターネットができず辛いところだ)。

 

 やっとの思いで読者賞の受賞作品と受賞者を確認した。胸の鼓動は最高潮だ。「あー。素晴らしい」。これらが日本全国の俳句愛好者が心揺さぶられ、そして、選句・投票し集計された読者賞上位入賞俳句なのだ。

 

 第25回毎日俳句大賞における予選通過作品1724句の中から読者大賞に選ばれたのは1382番「携帯の声折りたたむ夜寒かな」であった。

 

 さて、私が、予選通過作品1724句の中から読者賞として選句させていただいた3句

 

  しめり灰かけて囲炉裏を鎮めけり

  氷瀑に打ち込むハーケン谺せり

  初御空盲導犬と第一歩(点字)

 

 は、毎日俳句大賞又は、読者賞に入賞されているか。

 

 新聞紙面、そしてパソコン画面を上段から下段の欄へと視線を走らせるが見つからない。残念ながら賞獲得とはならなかったようだ。

 

 私は読者賞の選句を夜中過ぎまでかかりながら老体に鞭打ち、1724句の中から苦労して選句したので少し悲しい気分だ。

 

 しかし、私が選句させていただいた上記の三句は、1724句の予選通過作品の中から私の机の上にやってきて、前を向く人生に少々疲れていた私を励まし私の心に寄り添ってくれたのだ。

 

 ここからは、毎日俳句大賞の入選作品の中で、準大賞の(1)「月見草残して行きぬ墓仕舞い」、一般の部入選の(2)「みちのくの十年白き曼珠沙華」(3)「噛みしめるごとく石段下り秋」(点字)について思いを述べたい。

 

  • 墓石が処分され空閑地になってしまった墓地跡に、敢えて抜かずに残していったのであろう月見草が、夏の西日を浴びて侘しく咲いている。現代生活の中で墓仕舞いを選択しなければならなかった厳しさも伝わってくる。

 

  • 東日本大震災から10年の月日が流れてしまった。すべてを奪い去った波が、海へ戻ったあと、田圃の畦で生き延びた白い曼珠沙華は今年も咲いた。そして、みちのくの十年も見つめていてくれたのだ。

 

  • 秋の日の神社の石段でのことか、あるいは生活道路の少し狭い石段での俳句だろうか。一歩、一歩慎重に歩を進める作者の足元が見えるようだ。そして、「噛みしめるごとく」と言う鋭い表現には驚かされる。もしかすると、悲しかった出来事も一緒に噛みしめているのだろうか。

 

 ところで、毎日俳句大賞に入賞された方々の作品の卓越した言葉の深さは、一朝一夕にして生まれることはなく俳句の勉強の大切さを教えてくれる。そして、僅か十七音の文字の中に作者の内なる思いを表現したり、生きていく素晴らしさと困難までも詠み込んでいる。改めて小さな文学「俳句」の奥深さを思い知らされる。また、毎日俳句大賞入選句の中で上記の3句にしか触れられなかったが、本選選者の選句を拝見すると俳句初心者の私が言うのもおこがましいが、人間としての有り様や、生きていく力強い魂の叫びを聞くかのような俳句が連なっているように感じられた。

 

 もちろん、肩の力を抜き、自然の移ろいを穏やかな視点で捉えた俳句や、日常生活の僅かな動きを見逃さない俳句も魅力あるものである。機会あるごとに、令和4年1月31日(月)の毎日新聞紙面を見返している。

 

 次に、読者賞の入選作品2点について考えてみたい。

 

  携帯の声折りたたむ夜寒かな

  鋭角に割るる板チョコ寒の入

 

 読者大賞・読者準大賞の俳句に共通するイメージは、平易な言葉でありながら日常生活の1ページを巧みに切り取り、読者の心に訴えてくる力を感じるということだ。

 

 まず、読者大賞の「携帯の声折りたたむ夜寒かな」。

 

 友人か家族との会話が弾み、「声折りたたむ」と言う表現でわかるように声の別れをしがたい所であるが会話を終了させた。相手の声の余韻を思いやりながら携帯を切ると、今まで気づかなかった「つーん」とした夜の寒さが部屋中に広がっており、「はっ」と我に返った時、一瞬の孤独があった。大切な人を思いやるやさしさも感じられる。

 

 そして、読者準大賞の「鋭角に割るる板チョコ寒の入」について。

 

 銀紙に包まれた昔なつかしい板チョコレートを詠んだ俳句であるが、板チョコと言葉を省略した所に却って親しみを感じる。両手の指を使い板チョコレートの溝に沿って、何とか割ろうとするが決して綺麗に割れない。寒い室内にあって固まっているであろうチョコレートだが、上手くいかず鋭角にバリッと割れてしまう。また、鋭角という言葉の表現は素晴らしく拍手喝采したい。作者の物事を深く見つめた発見がそこにある。

 

 まったくの余談で追加的な考察であるが、毎日俳句大賞及び読者賞の入選句合わせて 40句の季節別分類をしてみた。すると、新年の俳句は0句、春季は6句、夏季は13句、秋季は14句、冬季は7句となった。(季重なりと思われる俳句については、私の判断のみで冬季に分類した。)

 

 芽吹きの季節の春季が意外と少ないのは予想外だった。新年の俳句はゼロであったが、詠みづらさでやはりちょっと手強いのか(あくまでも私の場合の感想である)。

 

 ところで、私は新設された読者賞決定までのプロセスにおいて、選句した俳句のサイトへの応募に始まり、「読者賞・選句体験記」モニターへの挑戦をし、そして今回の追加のエッセイを書くという経験をさせていただいた。

 それらへの挑戦は、無口で叱責をいただくばかりの私の人生を、とても前向きな気持ちにしてくれた。社会生活の中で、一つのことを仕上げることが出来た達成感に充ちている。

 そして、「読者賞・選句体験記」のモニターとしての経験は、私の心への贈物となって生き続け、人生の後半戦に差し掛かりながらも、まだまだ揺れ動く私を、灯明の明かりのように静かに見守ってくれるだろう。

 最後に、第25回毎日俳句大賞において新設された読者賞は、各種の俳句大会の中でも一歩先へ行く試みであると認識している。これから先、読者賞という形態が、各地の俳句大会や市民レベルの俳句の催しにおいても根付き、そして、広がっていくことを祈念して止まない。

 

【プロフィール】

 奈良部美幸

 1960年生まれ。20代前半に「白魚火」「いまたか俳句会」に加入するも、仕事・介護のため作句を断念。長いブランクを経て、令和2年2月より再び俳句の勉強をスタート。
 

読者賞選句体験記一覧