第25回 毎日俳句大賞

【選句体験記】

私というひとつの視点

 文・嶋村らぴ

 私は無知である。これは謙遜ではない。紛れもなく事実、私は無知である。特に俳句歴に関しては、十二月でやっと五ヵ月目を迎える頃なのである。

 職場からの帰り道、ちょうど雨が降っていたので夏の雨の句でも作って日記のネタにしようと閃いたのが一句目を作るきっかけだった。それが今年の夏のこと。何の準備も勉強もせずに作った第一句だ。夏井いつき先生が「俳句には季語が必要」とプレバトで言っていたことだけは覚えていたので、スマホで季語を検索しながら作ったのだ。

 その時に「卯の花腐し」という季語を見つけ、ハッと心を動かされたのが今日まで続いた大きな要因だと思う。「卯の花腐し」とは、卯の花を腐らせるような長雨という意味を持つ季語だ。なんて、美しい言葉なのだろう。しかも「雨」と言葉にせずに夏の雨を表現する言葉だなんて。季語が持つ言葉の美しさに感動した私は、更に季語を調べて二句、三句と作りながら帰った。帰宅後、そういえば夏井先生はYouTubeをやっていたよなと思い出し早速視聴し、そこから自分なりに俳句の勉強を始めたのである。あれから毎日、気が付けば一日一本は夏井先生の俳句の動画を視聴している。

 俳句を始める前は美術の勉強をしていたのもあり「下手な内から人前に発表していくことが一番大事。そうでもしないと永遠に、骨になっても見せられない」という持論があった。下手で当たり前なのだから怖がって機会を逃すよりも思い切って飛び出た方が得るものは多い、という下手の横好きなりのポリシーだ。

 新たに始めた俳句も、まずは一句目を作ったその日の内にSNSに公開した。一週間後には夏井先生が選者をされているネット俳壇「俳句生活」に初投句をした。その後松山市の「俳句ポスト365」や南海放送「一句一遊」にも投句をするようになった。

 先生に取って頂いて喜んだり、取られない日は反省したりした。また暦の上での秋と現実の気候の差に悩んだり、慣れてきたと思えば立冬になっていたりもした。

 そうして俳句のことを考えていたら、五カ月目に入る頃になっていた。やっと五カ月。けれど、まだまだ五カ月。知ろうとしているのにわからないことばかり増えていく。そんな俳句が、無限大の未知が、とても楽しい。

 そんな私ではあるが「選句」「選評」という言葉を知り、言葉だけ知って意味すら知らないのに「選句体験記」なるものを書こうとしている。なんと無知なことか。

 けれど私は、そんな無知な私であるからこそ「選句体験記」というものをあえて書いておくべきだと感じたのだ。なのでどうか、拙い部分があっても笑って許してほしい。


 まず私は1724句に全て目を通すことから始めた。目を通す過程で、気になった句は都度メモ帳に残していった。

 残念ながら最初に書いたように、私は無知である。なので、難しい言葉がある句や自分の経験が足りずに深い鑑賞ができないと感じた句は先生達や他の読者に任せることにして、きっぱり諦めた。一句一句調べるにも、とにかく量が多いのだ。また、世代の違いによる理解の難しさを感じる句も多かった。もしも私が母であったら……もしも三十年、五十年後の私であったら……。そんな私であったならばもっと深く鑑賞でき、共感したのであろうと思う句を、今日の私が選ぶにはまだ早かったと諦めた。勿論だが、早いなりに共感した句は残した。

 そうやって十七音の世界で作者の経験や感動を追体験出来る(と私なりに感じた)句が、自然とメモ帳に残っていった。

 メモ帳に残ったのは1724句のうち50句だ。さて50句まで絞ったものの、全て良い句ばかりである。勿論、予選通過句である時点でメモ帳に残らなかったものも含めて全て良い句であることは変わらないのだが、それはさておき困った。

 どうやってここから3句に絞る? など考えていたら、お風呂の時間になっていた。服を脱ぎ、頭を洗い、身体を洗いながら、私は先程の50句の中から自然と2句を反芻していることに気づいた。

 そうだ、まずはこの2句を取ろう。

 勘である。勘ではあるが「“あの”1724句をざっと一度目を通した中でふと思い出した2句」ということだけで、私にとっては充分すぎる決め手であったのだ。

 0061 少女乗せスケボー夏を飛ぶごとし

 一瞬を切り取った写真のような光景が、眩しくひかり輝いている。

 少女を乗せたスケボーはそのまま、勢いよく坂を飛び、空に舞い、夏を飛んだ。スケボーは少女を乗せて、少女は背中に夏の光を乗せて。夏を飛ぶ少女とスケボーを、地上の私達はただひれ伏すように見つめるのみ。そんな少女とスケボーと夏の世界に、圧倒された。

 作者の描いた夏の空は、きっとどこまでも青い。青い空を飛ぶ少女とスケボーは、夏の光を背負いながら黒く輝き、高く高く飛んでいくのであろう。

 その先にあるのは紛れもなく、夏なのだ。

 そういえば、この夏は東京オリンピックで16歳の中山楓奈選手が銅メダルを手にしていた。作者はこのオリンピックを描こうとしたのかもしれない。

 閉幕後、中山選手のインタビューをラジオで聞いたのだが、スケボーを降りるとどこにでもいるただの漫画好きな女子中学生で、妙に身近に感じた。

 少女がスケボーに乗るのか。スケボーが少女を乗せるのか。

 そして、少女とスケボーは一緒にどこまで飛んでいくのだろうか。ふと、そのようなことを考えた。

 0098 原爆忌茄子に空の映りゐる

 「原爆忌」と「茄子」は季重なりらしいが、私は「原爆忌の今日の茄子」として捉えた。この捉え方が正しいのかはわからないが、私はそう受け取った。

 原爆忌。茄子に、空が映っている。この句は本当にただそれだけの句なのに、どうして私の脳に焼き付いて離れないのか。

 平成生まれの私は、戦争を“本当の意味で”知らずに生きてきた。この句を読んで、私はそれを自覚し、自分が平和な世を今生きていることに感謝した。

 この句に存在しているのは、空を映した立派な茄子だけなのだ。ただ、茄子が今日の日の空を映している。空が映りこむほどの立派な黒い大きな茄子なのだろう。そんな茄子を手に、そうか今日は原爆忌だったのかと、ぼんやりと思い出す。そんな「日常」。なんて平穏な日常なのだ。平穏な日常を、コツコツと重ねたからこその今日の茄子の輝きと、空がある。平穏な日常とは、この手にある茄子と同じく一日では作れないものだ。

 きっとこの茄子も、平成に生まれた私と同じように「原爆忌」の本当の意味を知らない。教科書や書物や、経験者の話から知ることや想像することはできるが、それ以上の本当の意味を、本当の苦しみや痛みを知ることは平和が続く限り無いだろう。

 私が本当の意味を知らずに生きて来られたのは「戦争を忘れてはいけない」という気持ちを多くの人々が持ち続け、それにより今日まで平和が続いてきたからだと思う。今生きている平和な日々は一日では成り立たないのだ。何日も、何年も、何十年も、そしてこれからも何百年、何千年と、心に刻み続けながら生きていく責務がある。

 原爆忌の日の茄子が映す今日の空は、きっと青いだろう。私達は次に生まれてくるいのち達の為にも、この空を守り続ける責務がある。そんなことを、この句を通じ考えた。

 さてメモ帳に残った50句から2句は選んだが、最後の1句をどう選ぶかだ。

 私は言い訳のようなものを探した。選ぶということは同時に、選ばないということである。ただ、私が選ばなかったから劣っているという訳でもない。たまたま、今の私が選ばなかっただけである。

 では、今の私はどんな句を選びたいのか。等身大で考える。難しい句を、難しく捉えることは今の私にはできない。知識もない。経験もない。俳句のこともわからない。

 ならばわからないなりに、一番共感した句を選んでみようと決めた。そうして、この一句を最後に選んだ。

 0400 逝く時は夢みるやうに昼寝して

 この句を最後に選んだ理由は「自分もそう思うから」だ。実に単純な理由だ。そして、そう思うのは私だけではないだろう。

 誰の言葉であったか忘れてしまったが「睡眠とは目が覚めるまでの短い死である」と聞いたことがある。まさしく睡眠とは、死とは、目覚めとは、もしかしたら近いものなのかもしれない。

 しかしこの句はただの睡眠ではなく「昼寝」である。私は昼寝が好きだ。否、好きというより勝手に昼寝に落ちてしまうことが多い。けれど昼寝は、好きかもしれない。何となくだが普段の睡眠よりも昼寝の方が気持ち良く眠れたような気になるからだ。

 何が違うのか。それはきっと空に太陽があるか無いかではないか、と私なりに考えてみた。勿論科学的根拠は無い。しかしやっぱり、太陽がある方が何となく空気が優しい気がするのだ。夜は、どことなく寂しい。

 真夜中の暗闇に飲まれながら逝くよりも、優しい太陽の日差しに包まれながら、夢を見るように逝きたい。そんな作者の願いを私は感じ取り、そして共感した。

 思えば、曾祖母の葬儀は午前中だった。朝の光の中で、花に囲まれて眠る曾祖母の顔を見た。いま、曾祖母はどんな夢を見ているのだろうか。

 もしも選句に教科書のようなものがあるとしたら、私の選句方法はだいぶ間違ったものではないかと、選句を終え我ながら思った。何故なら最初から最後まで、私は今日の自分の主観のみで選んだからだ。

 しかし、私は「読者」である。好きだから・印象に残ったから・私もこんな句を作ってみたいと思ったから……。そんな理由で選んでしまえるのは、きっと読者の特権であろう。

 私は無知である。けれど無知であることも、きっと今の私というひとつの視点なのだ。
 

【プロフィール】

 嶋村らぴ

 1991年神奈川県生まれ。「いつき組」一年生。俳句を趣味とする祖父の背中を見て育つ。
 2021年7月に何となく一句目を作る。作る過程で「卯の花腐し」という季語に感動し、二句三句と作り、気付けば本日に至る。