夏井いつきの「発掘忌日季語辞典」

「淡谷のり子忌」解説と秀作・佳作句発表

No.14

【傍題】
 ブルースの女王忌
 別れのブルース忌
 たいしたたまげた忌

【解説】
1999年 9月22日 歌手淡谷のり子が92歳で亡くなった日。老衰。

青森県青森市出身。日本のシャンソン界の先駆者であり、「ブルースの女王」とも呼ばれた。

傍題「たいしたたまげた忌」は、1979年、津軽三年味噌の広告に出演し、彼女が口にした「たいしたたまげた!」(方言「とても驚いた!」)というキャッチコピーが、当時流行語になったことに由来する。

 
電子版にて細々と続いているとは知らなかった! というお便りも折々届く本連載。すりいぴい君から久々の投句があった。「組長、ご担当者さまこんにちは。投句はひさしぶりです。電子版になったのですね。淡谷のり子さんの歌やテレビでのゲスト出演など、昭和40年代前半産まれのわたしとしてはとてもなじみのある方。母が聴いていたのを聴いたことはあるけれど、物まね番組審査員や遠慮のない物言いに、歌と同じくらいインパクトがあった。まさに日本昭和歌謡界の裏ドンという感じ。調べるとかなり過酷な半生であり貧困も体験。大陸慰問での筋の通し方は最近知った」。

なるほど、昭和40年代前半生まれはこの感じの認識具合なんだなと納得。さらに若い年代になると、淡谷のり子の存在を、ものまねの対象として知るのみ、という感じになるのだろうな。

 ものまねはコロッケよ淡谷のり子忌 (赤木和代)

 淡谷のり子忌馬っ鹿じゃないのコロッケは (鈴野蒼爽)

今回、稀代の歌手淡谷のり子について、初めて詳しく調べた。さきほどの、すりいぴい君のお便りにも「過酷な半生」「貧困」などの言葉があったが、そこから「日本昭和歌謡界の裏ドン」? までの人生は、まさに小説よりも奇なり、というヤツだ。

私の父は昭和一桁生まれ。楽譜を見ながらギターを弾きつつ古賀政男メロディーなどを歌ったりもしていたが、淡谷のり子もレパートリーの一つだった。テレビの中で、腕を組んで静かに歌うおばあちゃんが淡谷のり子だと分かってはいたが、スゴい歌手なのだとも知らず、喋ると東北弁なんだ~程度の認識でいたように思う。

そんな大歌手と直に会ったことがある! という句も届いた。

 初対面は新幹線のグリーン車淡谷のり子忌 (小木さん)

小木さんは、ギリギリ昭和20年代最後~30年代ぐらいか、ほぼ私と同世代。グリーン車なんぞというものは政治家か芸能人が乗るものと思ってたよね。新幹線のそこに悠然と座る淡谷のり子は、貫禄という名のオーラを放っていたに違いない。

さらに驚きの出会い情報も!
 
 だっこされ泣き出した淡谷のり子忌 (ちびつぶぶどう)

「自分が赤ん坊のころ、我が家にお客様として来た淡谷のり子さんに抱っこされ、その風貌のアップに泣き出した瞬間の写真があった。優しい方だと聞いているが、赤子にあのドアップは、無理」という、ちびつぶぶどう氏は小木さんや私と同年代。グリーン車に乗れていた大歌手が「我が家にお客様として」って、一体、君んちはどういうおウチ?? 「風貌のアップに泣き出した瞬間の写真」よりも、淡谷のり子がおウチに来ている状況のほうに興味が湧く。

 青森の海は紺碧のり子の忌 (宥光)

淡谷のり子は明治40年青森生まれ。のり子の母みねは、女学校を卒業したばかりの17歳で、封建的家制度の塊のような呉服屋に嫁いだ。明治43年に青森の大火があり、店が焼失。再建の失敗、父彦蔵の放蕩など淡谷家の命運は傾いていく。ここから、母みねが二人の娘を連れ33歳で東京に出るまでの、女としての生き方、苦悩も胸に迫るものがある。

 胸に鳴るドラの響きや別れのブルース忌 (はやし央)

のり子は、16歳で東京の東洋音楽学校に入学。母みねの強い勧めがあったようだ。とはいえ、母の賃仕事だけでは学費が滞ってくる。食費にも事欠く日々が続く。そんな一家にさらなる困難が立ちふさがる。妹とし子が失明の恐れのある眼疾にかかっていることが分かったのだ。この現状を打破するためにのり子が選んだのは、休学して働くという選択。頼るべきは自分だけだという思いが、行動を起こさせる。

選んだ仕事は、画家や画学生のためのヌードモデルであった。

 固太りの裸婦像よ淡谷のり子忌 (生江八重子)

 裸婦モデルつとめ生き抜くたいしたたまげた忌 (亀田かつおぶし)

霧島のぶ子という仮名で始めたモデル業。妹の治療費、家族3人の生活費、そして復学のための授業料を稼ぐには、過酷とはいえ実入りのよい仕事だった。しかも霧島のぶ子は人気モデルとして画家たちの間で引っ張りだことなり、前田寛治の油彩「裸婦」は、第9回帝展に出品され大きな評判をとる。この絵のモデルが淡谷のり子本人なのだ。

 淡谷のり子忌月白の肌の黙 (西川由野)

吉武輝子著『ブルースの女王淡谷のり子』(文藝春秋)にはこんな記述がある。「自分の本道は音楽、モデルはちょっと横道にそれているだけというのり子には、強烈な意識があった。ヌードになることにためらいを持たなかったのは、強烈な意識に支えられてのことであったといっていい」。 さらに、のり子がそれを告げた時、母みねは「おどろきはしない。のり子を信じているから」と日頃の口ぶりで答えたという。

 淡谷のり子忌気骨反骨てふ背骨 (夏草はむ)

 からきじ忌歌手は芯から歌手であれ (よしざね弓)

「からきじ忌」は、よしざね弓さんからの傍題提案。
「からきじとは、青森弁で『けっぱる』『頑張る』という意味があります。悪い意味もありますが、彼女の場合は青森出身の意地で、むしろ彼女のプロ根性を示す言葉だろうと思います。失明寸前の妹を助ける為に敢えて休学してまでヌードモデルの仕事を始めた。それでも彼女は音楽も続けたいと諦めず、画家からの支援を得る。彼女の振れない姿勢が、果たして今の人達にあるだろうかと思うのです」。

淡谷のり子の人生を貫くのは、ブレない精神だ。彼女にとってのプロフェッショナルとは、自分が歌いたい歌を心を込めて歌い、聴いてくれる人の心を楽しませる。その一点であった。だから、戦争が音楽の自由を奪った時代においても、彼女は軍歌を歌わなかった。そして、ドレス、ハイヒール、口紅、マニキュアなどを手放さなかった。

 ドレスは歌手の戦闘服忌金のラメ (ひでやん)

ひでやん氏からの傍題提案は「ドレスは歌手の戦闘服忌」。今回も丁寧なレポートが届いていたが、その一部を紹介する。

「戦時中、慰問活動を活発に行っていたそうですが、典型的な服装であったモンペは『誰も喜ばないから』と言って穿かず『化粧やドレスは歌手にとっての戦闘服』という信念を持って、贅沢だからという理由で禁止されているにもかかわらずパーマをかけ、ドレスを纏って兵士の心を慰める歌を歌っていたといいます。その信念の格好いいこと! 恩師に『あなたは歌とともに死んでいくのね』と言われたそうですが、まさにそんな歌という戦場で戦い斃れた人生であったと調べていて思いました。これは忌日の名前にできるのではないでしょうか」。

14音の傍題は、句作にとってかなりハードルは高いが、長いからこそ俳人心をくすぐる。「金のラメ」の5音が、在りし日の淡谷のり子の静かな威厳に満ちた立ち姿を彷彿とさせる。

 窓を開ければ淡谷のり子忌の風 (佐藤儒艮)

 窓を開ければ淡谷のり子忌の港 (ちびつぶぶどう)

「窓を開ければ」から始まるのは『別れのブルース』だ。淡谷のり子の枕詞のような2句があったことに、ささやかな感動を覚える。

淡谷のり子は、常に前を向いていた。開いた窓の向こうを睨んでいた。常に時代の風の中に立っていた。彼女もまた、時代という名の強い風の中に立つ1本の美しい旗であった。そして、人々の心の港となり得るような歌を数々残した、永遠の歌姫であった。

●秀作

アイシャドウの愁ひ淡谷のり子の忌    (岩橋春海)
淡谷のり子忌バラの花束しか要らない   (一斤染乃)
パープルのオーラや淡谷のり子の忌    (森哲州)
淡谷のり子忌やロングドレスにロングトーン(たかし)
豊満な淡谷のり子の忌のこゑよ       (山田喜則)
青森の海は紺碧のり子の忌        (宥光)
吸殻の山よ別れのブルース忌       (夏草はむ)
淡谷のり子忌SP盤の傷の音       (どいつ薔芭)
淡谷のり子忌勁き瞳のファルセット    (くま鶉)
淡谷のり子忌スパンコールの鈍き銀    (山羊座の千賀子)
淡谷のり子忌の溝臭きメリケン波止場   (内藤羊皐)
淡谷のり子忌月白の肌の黙        (西川由野)
淡谷のり子忌冷えたる肘を抱く窓辺    (小池令香)
淡谷のり子忌反骨の紅をひく       (佐藤儒艮)
ファルセットとよむ別れのブルース忌   (藤色葉菜)
ブルースの形にグラス淡谷のり子忌    (世良日守)
固太りの裸婦像よ淡谷のり子忌      (生江八重子)
抱擁めくビブラート別れのブルース忌   (七瀬ゆきこ)
ガス灯の残る港や淡谷のり子忌      (中岡秀次)
別れのブルース忌沈黙ながき蓄音機    (小菅信一)
 
●佳作

窓を開けブルース聴く淡谷のり子忌    (余自い詐)
むらさきのアイシャドウ淡谷のり子忌   (藤田ゆきまち)
淡谷のり子忌のアイライン強い青     (平良嘉列乙)
眼開いて睨むたいしたたまげた忌     (亀田かつおぶし)
コッシーもピアフもひよこ淡谷のり子忌  (巴里乃嬬)
淡谷のり子忌馬っ鹿じゃないのコロッケは(鈴野蒼爽)
咲ききつて大輪の花淡谷のり子忌     (百田登起枝)
ドレスは歌手の戦闘服忌金のラメ     (ひでやん)
啜り泣く波止へ別れのブルース忌     (近江菫花)    
淡谷のり子忌レコード針を落とす夜半   (山川腎茶)
窓を開ければメリケン波止場ブルース忌  (正谷)
言葉に宿るブルースの女王忌       (那須のお漬物)
声帯の震へ別れのブルース忌       (加田紗智)
あたたかき声やたいしたたまげた忌    (渋谷晶)
たいしたたまげた忌に讃や始末書の山   (野中泰風)
信念は化粧とドレスのり子の忌      (西村小市)
「恋人よ」何度も淡谷のり子の忌     (八幡風花)
「のりちゃん」と叫ぶ別れのブルース忌  (そまり)
淡谷のり子忌の入札戦闘服        (梵庸子)    
淡谷のり子忌わき腹の肉めくビブラート  (玉響雷子)
初対面は新幹線のグリーン車淡谷のり子忌 (小木さん)
たいしたたまげた忌青森弁はフランス語  (明惟久里)
雑な物真似して淡谷のり子の忌      (朝月沙都子)
淡谷のり子忌このごろ憂鬱よ       (椋本望生)
終列車別れのブルースのり子の忌     (長谷川遊山)
読み返す「私の遺言」淡谷のり子忌    (星月さやか)
巨星落ち一片の石淡谷のり子忌      (大野喬)
さよならも言わずに淡谷のり子の忌    (はやし央)
花芒揺れてブルース女王忌        (つれづれ)
洋楽とドレスは私淡谷のり子忌      (ミセウ愛)
淡谷のり子忌や津軽なまりのビブラート  (朶美子)
メリケンも死語かたいしたたまげた忌   (沙那夏)
乾き物ねぶる別れのブルース忌      (すりいぴい)    
模糊なビブラート別れのブルース忌    (衷子)
ふるさとに木霊す唄よ淡谷のり子忌    (奈良部守保)
読経てふラップたいしたたまげた忌    (東京堕天使)
爪とぎて魔界歌姫淡谷のり子忌      (吉谷地由子)
からきじの淡谷のり子忌ヒバの風     (でんでん琴女)
淡谷のり子忌古レコードの雑音よ     (中西柚子)
戦闘服の鳥鳴く淡谷のり子の忌      (比々き)
からきじ忌歌手は芯から歌手であれ    (よしざね弓)
サインにも効果ありさうで淡谷のり子忌  (暖井むゆき)
シャンソンを胸にブルースの吐息淡谷のり子忌(斗三木童)
海底をゆく新幹線たいしたたまげた忌   (小野更紗)
秋風の眉間や淡谷のり子の忌       (平尾有休)
シャンソン銀座銀巴里淡谷のり子忌    (赤木和代)
淡谷のり子忌吾が思ひ真つ直ぐに     (赤木章嗣)
しつとりと胸にとけ込む別れのブルース忌 (奈良部美幸)
淡谷のり子忌の見栄張りつブルースを   (としなり)

 
  • ■夏井いつき プロフィール
    ■夏井いつき プロフィール



    俳句集団「いつき組」組長。毎日俳句大賞「一般の部」「こどもの部」選者。
    テレビやラジオの出演の他、YouTube「夏井いつき俳句チャンネル」も開設。
    俳句の豊かさ、楽しさを伝えるため「俳句の種」を蒔きつづけている。