夏井いつきの「発掘忌日季語辞典」

「中村哲忌」解説と秀作・佳作句発表

No.17

【傍題】
カカ・ムラト忌

【解説】
2019 年12月4日、日本の医師、中村哲が亡くなった日。
アフガニスタンにて移動中に武装勢力に銃撃され死去。


パキスタンやアフガニスタンにて医療活動に従事。医療だけでなく、灌漑事業や教育施設の建設にも取り組み、アフガニスタンの国家勲章も受賞した。

傍題「カカ・ムラト忌」は、現地の人々から「カカ・ムラト=ナカムラのおじさん」と呼ばれていたことから。
 
今回、YouTube『夏井いつき俳句チャンネル』で、投句先の一つとして本サイト[発掘忌日季語辞典]を紹介したものだから、新顔の皆さんからの投句が増えた。ありがとう、皆さん!
 
 師走の日命育てた哲逝く(みちくさQ幸)

ただ、本連載は、兼題として提示される忌日を季語として育てようという試みなので、今回の場合ならば「中村哲忌」あるいは傍題の季語を入れて詠んでもらう必要があるのだ。
 
 春雲雀カカ・ムラト忌の鎮魂歌(またあ)
 カカ・ムラト忌日選べず秋祭り(上野卓男)

 
忌日季語は、季節感が乏しいため、他の季語と併用する場合もある。が、12月4日、冬の忌日なので、季節の違う季語との併用は少々無理がある。
 
 初氷持って得意気頭突き割り(日向大海)
 落葉の大樹鳥の巣現わるる(酒井 梢)

この二句も、何らかの思いをもって詠まれたのだろうとは思うのだが、残念ながら、募集の要件を満たしていない句となる。次回の再挑戦に期待したい。
 
 仁といふ生き方を知る中村哲忌(小藤たみよ)
 銃弾は涙のかたち中村哲忌(有野安津)

「中村哲先生、私は以前、医療職として働いていましたが、先生のように人の為に尽くした医師を知りません。どうして先生がこんな最期を迎えなければならなかったのか、無念でたまりません。(小藤たみよ)」

「中村哲氏。生きているうちに一度お会いしたかったです。今回の俳句募集を知った時、どんな形でも良いから投句しようと決めました。今回のテーマに取り組むにあたり、中村医師が寄稿された新聞連載記事、中村医師の偉業などを記録する関連サイトなど可能な限り読み漁りました。若き日に交わしたティリチ・ミール山脈との誓い。灌漑用水路を引くために、医師である中村医師が、土木建築の基礎から学ぶことを決意し、家族から数学の教科書を取り寄せるところから勉強を始めた話。クラシック音楽を好んで聴いていたことなど、多くの興味深いエピソードに触れ、何度も心が震えました。(有野安津)」

「中村哲氏が亡くなったのが2019年末。その後、新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、銃弾に倒れた第一報から記憶が薄れていたこの頃。今回の忌日のテーマになったことで中村哲氏の著書を二冊拝読し、理解が深まりました。中村哲氏と同い年の母はコロナ禍の中で亡くなったのですが(血液の癌です)、数十年看護師としてバリバリに医療従事してきた人なので、生前は中村哲氏のことも当然知っていたかと思います。この世代の太く逞しい生命力には圧倒されます。(木原トモ)」

「中村哲忌は是非投句したいと思い、以前録画した追悼番組を観て、あらためて偉大な方だったのだと感銘を受けました。そして、人を心から愛し、詩の心を持った人であったのだ!と。(直)」

「中村さんが亡くなったのは自分が高校生の頃でした。『誰もが行きたがらぬところへ行け、誰もがやりたがらぬことを為せ』『俺は行動しか信じない』という言葉が忘れられません。(立花ばとん)」

「慈愛に満ちた眼差しでアフガニスタンの人達に寄り添い、生活を支え、救った中村哲氏。私もクリスチャンなのですが、同じキリスト教徒として心から尊敬しています。(糺ノ森柊)」

不勉強な私は、中村哲という医者の存在を、訃報によって知った。こんな日本人がアフガニスタンで活動を続けていたという事実に驚いた。

「我々日本人はイスラームを西洋キリスト教世界のフィルタを通して見てしまっており、過激な宗教だというイメージで見がちですが、大多数のムスリム(イスラーム信者)は世俗的で穏健です。しかも親日的です。もともとイスラームはキリスト教の遠い親戚なのにキリスト教世界はイスラームを敵視しがちですが、日本は非キリスト教国の先進国で武力に訴えることがないということで、親しみを覚えてくれているのだろうと思われます。中村氏のような方の地元に敬意を払った地道な活動が、日本人を標的としたテロが少ない要因にもなっていると考えられます。その意味では、中村氏がテロにより殺されたことは大変残念なことです。(ひでやん)」

「『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束』(2010年、岩波書店)を購入。しかし毎度のことではあるが投句締め切りまでに完読することができなかった。もちろんひとの優劣などつけられないのであるが、今回は気軽に詠めない忌日季語だなあと、この季語を前にして感じる。報道で知る程度の知識しかなく、ここで私が中村氏の業績や人となり、また銃撃事件の内容を記すことは適切ではないだろう。そして水を差すようだが真に中村氏へ感謝をささげるべきはアフガニスタンのひとびとだろうとも思う。しかし同時に亡くなった当時、怒りを覚えた身として、忌日季語としてぜひ後世に残るものとなることを願う。同国人の立場からではなく、同じ人類のひとりとして。(すりいぴい)」 
 

毎回のことではあるが、忌日季語として提案する以上、私もその人物、事象などについて学ばねばならない。今回も、何冊か本を手に入れ、旅の友としてスーツケースに入れて歩いた。

読めば読むほど、中村哲という人物についてのみならず、アフガニスタンという国のことも世界情勢も、ニュースの上っ面しか知らなかった自分に深く恥じ入った。

これもまた毎回のことではあるが、忌日季語を通して、さまざまなことを学ぶ。常々、「季語は、時代や文化の索引だ」と語ってきたが、今回の兼題ほどそれを生々しく感じることはなかった。
 
まずは、忌日季語辞典作成委員会の面々から届いた情報をもとに、中村哲という人物の人生を辿ってみよう。(※「忌日季語辞典作成委員会」とは本連載そのものであり、その会員とは、投句や情報を寄せて下さる読者諸氏を指す)。
 
 鳶高くカカ・ムラト忌の大河かな(藤色葉菜)
 カカ・ムラト忌水路に美しき月の道(藤色葉菜)


「中村哲。医師としてアフガニスタンでハンセン病治療に従事している中で、大干ばつが起き、医療だけでは人命を救えないと決断。自らショベルカーを動かし、何もない砂漠に井戸、用水路を作り、緑を蘇らせたという実績に驚くばかりだ。しかも戦火にある土地でだ。住む場所も電気も水も当たり前にある中で生きてきた自分にはとても信じられないし、苦難が待っていると知りながら、誰もやらないなら自分がやると言えるのだろうかと。
https://www.nishinippon.co.jp/sp/serialization/tetsu_nakamura_philosophy/ 
ここ、とても理解が深まりました。『荒野に希望の灯をともす』は20年以上にわたって撮影したドキュメンタリー映画だそうです。年明けに近くで上映されると知ったので、見に行きたいと思っています。投句する前に観たかった!(藤色葉菜)」

 
新聞等のネット記事は詳しく、中村医師の志や生涯を解説してくれている。特に、写真の力は大きい。

藤色葉菜さん情報提供のサイトを開いてみると、「緑に生まれ変わったガンベリ砂漠の一角」の写真が観られる。ここが、かつて乾ききった砂漠であったといわれても信じがたい。さらには、「かつて砂漠だった土地で落花生が実ったことを喜ぶ、PMSのアフガン人スタッフ」が両手を広げて嬉しそうに語っている写真もある。この表情こそが、中村医師の願った光景そのものに違いない。

「PMS」(平和医療団)とは、現地住民らでつくる非政府組織なのだそうな。医療団体が、なぜ井戸や用水路を作るのか。この記事には、以下の記述がある。

「中村医師が働くPMSの診療所には、栄養失調や不衛生な水のため赤痢などに感染した幼子や高齢者が殺到。次々と命を落とした。『病気の大本を絶たなければだめだ』。白衣を脱ぎ、清潔な水と農業用水をもたらすため、用水路の建設を決意した」。
 
 弾痕残るユンボ意のまま中村哲忌(そまり)
 井戸を掘る重機のひかりカカ・ムラト忌(みづちみわ)

医師でありながら土木工事、という発想の原点であったかもしれない出来事が、『アフガニスタンの診療所から』(中村哲、2005年、ちくま文庫)に綴られている。

ハンセン病に関わった時のことだ。まるで安宿のような施設を9年かけて病院らしく整えた頃、この病気の合併症に頭を悩ませたという。これまた不勉強な私は今回知ったのだが、ハンセン病は皮膚とともに感覚神経が冒されるのだそうな。足の裏にマメが出来ても痛みを感じないため、知らないうちに患部をいためつけ、足に穴があく。さらに化膿菌に感染し、骨髄炎で骨が破壊されるという。

患部を清潔にして安静にしておけば治るらしいが、固い皮に釘を打ったようなサンダルが一般的な履き物のため、何度でも同じ症状を繰りかえす。この治療のための抗生物質とギプスの費用が、財政を圧迫していることに気づいた中村医師は、なんと! 靴を作り始めるのだ。
 
医師でありながら靴作り。

このあたりの顛末と奮闘は、是非、著書を読んで頂きたいのだが、中村医師の活動の根底にあるのは「現地に根ざす」という考え方だ。このプロジェクトから生まれたサンダルワークショップは、患者には安価なサンダルを、ワークショップで働く者には労賃を、という真っ当な循環を作り出している。

現地では何を必要としていて、どんな事情を抱えていて、何が効果的であるのか。現地の人々とともに生きようとした時の答えが、「医師でありながら靴作り」「医師でありながら土木工事」だったのだ。さらに、それらの社会的循環は現地に生きる人々に引き継がれるべきだ、という一貫した考えに基づいていた。
 
「中村哲忌」を忌日季語として取り上げて欲しいという声が沢山寄せられての今回。皆さんからの傍題提案を紡ぎ合わせていくと、中村哲という人物の人生が自ずと見えてくることに気づいた。
 
 アフガンを流るる水や哲貫忌(大山和水)     

「『哲貫忌
(てっかんき)』というのは如何でしょうか? 7年もの歳月をかけ25.5キロもの用水路を完成させるまでには、幾多の困難があったかと思います。上映された映像では、現地の住民と何度も話し合いを重ね、丁寧に説得している中村医師の姿がとても印象的でした。己の意志を貫いた中村哲医師のお名前から『哲』の一文字と、貫くの『貫』の一文字で『哲貫忌』。貫くの字は、アフガンの地を貫くマルワリード用水路にも重なりますね。(大山和水)」

中村医師の生涯を象徴する言葉として「貫」の一字を挙げていた人は多い。自らショベルカーを扱い、用水路を掘ることも「貫」であり、揺らがない意志もまた「貫」であった。
 
パライソを撫でる緑風聖哲忌(有野安津)
 
「『聖哲』の意味を辞書で引けば『知力・徳行ともにすぐれ、事理に通じている人』とある。クリスチャンでもあった中村哲医師にふさわしい呼称だと思うが、ご本人はそのような呼ばれ方を嫌っていたらしい。なので、あくまでも提案の一つとして。(有野安津)」

有野安津さんのおっしゃる通り、他人から「聖」であると思われる人ほど、己がそう呼ばれることに違和感を持つのだろう、とも思う。が、「聖哲」という言葉どおりの生き様であったと、誰もが肯う傍題でもある。

一方で、こんな傍題提案もあった。
 
 人には涙医者には水路大ばか忌(椋本望生)     

「馬鹿とは真実を曲げウソを徹底することと定義されるが、中村先生の魂は遥かに気高いものであり崇高に値する。どうみても『馬鹿』とは言えないが、儚く散っていった中村哲さんに『大馬鹿』という国民栄誉賞を与えたい。そんなこんなで『大馬鹿忌』なんて命名すると叱られるだろうか? 否、敢えて『大馬鹿忌』と名付けてみたい。(椋本望生)」

大馬鹿という名の国民栄誉賞とは恐れ入ったが、中村医師は「聖」と呼ばれるよりは「大馬鹿」と呼ばれるほうを喜んだかもしれない。

中村医師が靴作りの研究を始めた頃、先生は靴を壊すワークショップを作ろうとしてるのかと皮肉られたり、金をかけて壊すのなら既製品を買い与えたほうが早いと言い出すスタッフもいたそうな。患者たちは、日本の親切な医者が靴屋を始めるらしいと噂したとか。

前出の著作『アフガニスタンの診療所から』には、こんな記述もある。「物見高い連中が多いので、あれやこれやの意見が続出したが、たいていは私の意図をまるでわかっていなかった。口達者なわりに実質的な協力は少なかったので、私は『燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を……』とつぶやきながら、かまわずこつこつとサンダルをこわしつづけた。多少、偏執狂のように見えたかもしれない」。
 
「燕雀安
(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは、小人物は大人物の大きな志をさとることができないことの例え。人は、自分が理解できない言動に対して「馬鹿」という評価を下す。燕雀の一人として、大馬鹿者の抱いた鋼のような鴻鵠の志に、圧倒されるのみだ。

椋本望生さん提案の傍題。「馬鹿」の上につく「大」の一字は、尊敬と愛情のかたまりに違いない。
 
 井戸もショベルもツルハシもセロ弾きのゴーシュ忌(七瀬ゆきこ)   

こちらも大胆な傍題提案。宮沢賢治をさておいて、「セロ弾きのゴーシュ忌」といわれても、と戸惑ったのだが……。

「中村哲氏は、自らを『セロ弾きのゴーシュ』の姿に重ね合わせている。自分に立派な思想があったわけではない。『セロ弾きのゴーシュ』のように、楽長からセロが下手だから練習しろと言われて一生懸命していると、狸が来たり、野ねずみが来たりして、いろいろ雑用をつくる。『この大事な時に』と思うけれど、『ちょっとしてやらんと悪いかな』ということで。次第に上手になって、楽長に褒められる。それに近いのだ、と。

38歳で、パキスタンに渡りハンセン病根絶計画、水源確保事業、空爆下の食料配給と診療継続、用水路開通に至るまで。自分が出ていけば何とかなるんじゃないか、という時に、引き下がれなかったからと。『セロ弾きのゴーシュ』は、人として最低限守るべきものを示してくれた、と。(七瀬ゆきこ)」

※参考『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』(2021年、NHK出版)
 
なるほどなあ。

この大事な時にと思うけど、ちょっとしてやらんと悪いかなあ……が、サンダルであり、用水路であり、学校であり、現地の人々が自分たちの力で生き抜くための仕組みであったり。中村医師の語る「人として最低限守るべきもの」を、私たちはどこかに置き去りにしてきたのではないか。
 
 真珠の水忌ふるさと確と青々と(くま鶉)
 真珠忌や流るる水に映る雲(小野更紗)

「アフガニスタンで1400を超える井戸の掘削や大規模な用水路の工事を指揮された中村医師。2007年に第一期工事が完成したアフガニスタン北東部の用水路に『「アーベ・マルワリード(ペルシャ語で真珠の水)』という名前をつけたそうです。中村医師はその名前について、『真珠というのは、日本の名産でもあるし、日本の象徴でもあるということで、日本の協力でできたということを、われわれそういう見栄はあんまり張りたくないですけれども、ちょっとは形跡として残したいということですね』と語っておられました。(くま鶉)」

「アフガニスタンに暮らす人々のために欲得なく頑張ってこられた中村哲先生。初めて完成させた用水路は『マルワリード用水路』という名前で、真珠の意味だそうです。(小野更紗)」
 
「マルワリード忌」という傍題も、星月さやか他の皆さんから提案があった。「真珠」というキーワードは、佳きアイデアだ。くま鶉さん情報「真珠は日本の名産でもあり、日本の象徴でもあり(以下略)」という中村医師の言葉を知ると、尚更の思いがする。
 
毎回思うことだが、忌日季語作成委員会の面々から届く情報は、知識の宝庫。知らなかったことを沢山教えてもらえる。その中から、幾つか紹介をしておこう。 
 
 カカ・ムラト忌棺を担ぐ大統領(ひでやん)

「アフガニスタンで行われた追悼式典において、当時の大統領ガニ氏自ら棺を担いだほど、アフガニスタンに貢献した人物としてかの国の人々から尊敬されていたのです。(ひでやん)」
 
 カカ・ムラト忌広場の名前は「ナカムラ」(やまさきゆみ)
 「ナカムラ」という広場あり中村哲忌(糺ノ森柊)

「1984年から銃弾に倒れた2019年までパキスタンとアフガニスタンで医療活動、灌漑事業など人道支援活動を行った故中村哲氏。

常に優しい眼差しでアフガンのに人達に寄り添い生活を支えた。


亡くなった後、銃撃されたアフガニスタンのジャララバードには『ナカムラ』という広場が作られ、切手が発行された。(糺ノ森柊)」

「中村医師が銃撃されたとき、だれもがタリバーンの仕業を思いましたが、タリバーンは犯行を否定する声明を出しています。現在アフガニスタンを実効支配しているタリバーン政権は、2022年10月ジャララバードに中村氏の人道支援活動を記念した広場を完成させたそうです。以前の政権から作り始めていたらしいですが、タリバーンが広場を造ることを止めなかったところに、彼の活動が人道支援として立場を超えて評価されていることがうかがえます。(ひでやん)」
 
 アーム振る重機六台中村哲忌(平良嘉列乙)

「中村さんは工事が終わると、重機のアームを振ってお祝いとしたようです。その動作は今も現地の団体に受け継がれているとか。敬意ってこういうところに表れるのだなあと感動しました。(平良嘉列乙)

参考記事「中村哲さんの遺志を継ぐ 銃撃3年、アフガンで歩み着実」(「日本経済新聞」電子版2022年12月3日 )
【11月26日、福岡市内で開かれた追悼の会で、ビデオメッセージを寄せた現地組織「PMS(平和医療団)」スタッフは、遺志が引き継がれていることを口々に報告した。うまくいかなかったサツマイモの栽培に成功したこと。堰(せき)を完成させた時は、かつての中村さんのように重機のアームを振って祝ったこと――。「自分たちで通水できたが、先生がいないのが悲しい。」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE021KM0S2A201C2000000/
 
「サツマイモの栽培に成功した」という喜び、「自分たちで通水できた」という成果こそが、中村医師の志したもの。そして「先生がいないのが悲しい」という現実が、今、私たちの目の前にある。

長年、中村医師の活動を支えてきた「ペシャワール会」。その会員だというお便りも届いた。
 
 カカ・ムラト忌ナツメヤシ初の実りを伝へたし(生江八重子)  

「私は『ペシャワール会』の20年来の会員です。2001年9.11の同時テロ発生後、10月にはもう有志連合諸国により報復アフガニスタン空爆が始まりました。一連の事件に胸がつぶれそうな思いをしていました。そんな12月に当時住んでいた熊本市の産業文化会館ホールで中村哲氏の緊急講演会が開かれました。ホールは満席で通路にも座席後方にも人が溢れました。空爆によりそれでなくとも困難を極めているアフガニスタンで餓死者が出る恐れがあると。実情をとつとつと語るその姿に胸を打たれました。それから直ぐにトラック数台分のペシャワール会支援の主食の小麦粉がアフガニスタンの民衆に配られたそうです。その時の写真が記憶に残っています。

それ以来の会員で、熊本で行われる講演会、写真展、会報の発送などの雑用を微力ながら手伝ってきました。その折りの先生の質素過ぎる衣服の小柄な姿が思いだされます。食料不足による病気多発と考えられて、中村先生は医療から灌漑・農業支援に活動を広げていきました。砂漠化した農地を緑地化し、とにかく「食べられる」ようにすることが究極の目的でした。用水路建設にあたりブルドーザー、トラクターなど物品は全て現地調達する。それは現地を潤す事になる。用水路が傷んだ時は現地の人が補修できるようにする。そのために九州の今に残る江戸時代の灌漑工事を見て回り参考にしておられました。用水路護岸はコンクリートを使わず「蛇籠」にするとかの例のように、まさしく現地に根ざした支援の在り方でした。用水路工事の夕方に作業員に日当払いをするそうで、列に並んだ杖をついた老爺にも小さな子供にもそれは支払われたそうです。アフガニスタンで失業対策事業をしているとも、祖父と同じことをしているともと笑っていました。「外祖父」は伯父火野葦平の「花と龍」のモデル「玉井金五郎」です。中村先生の事業と希望は引き継がれています。これからも「一隅を照らす」という遺された言葉は消えることがないと思います。(生江八重子)」


生江八重子さん、なんと20年来の会員であったとは!

貴方からの提案でもあった「中村哲忌」を今回取りあげることができたことを嬉しく思う。

中村哲という大きな軸を失った今こそが、「ペシャワール会」の正念場。その志を引き継ぎ、風化させない。そのささやかな応援として、「中村哲忌」が多くの俳人たちによって詠み継がれていくことを願う。
 
 ペシャワルの緑の大地照一隅忌(有野安津)

「『照一隅』という言葉を知った時、私は俳句を通して『照一句』をモットーにしたい、と思いました。『一句 "を" 照らす』というより『一句 "が" 照らす』。俳句が人を癒し、支え、強い心を与えてくれることを、今、自分自身が身をもって体験しているからです。

中村哲医師の言葉に『命に対する哀惜、 命を愛おしむという気持ちで物事に対処すれば、 大体誤らない』というものがあります。俳句を詠む私たちにも、そのまま当てはまる至言です。この精神を忘れず、これからも学び、生きてゆきます。この度は貴重な機会を有難うございました。(有野安津)」

 
小野更紗さんからは「一照忌」という傍題提案もあった。「自分が今いる場所で自分にできることを懸命にやる……敬服します。自分もそうありたいですが……」との添え書きも。

忌日季語を育てていくための方策はたった一つ。俳人である私たちが、それを詠み続け、佳句を生み出すことに尽きる。
 
 このほしにカカ・ムラト忌のみづあふれ(村瀬っち)
 星さんさん中村哲忌の用水路(露草うづら)
 大地凍てカカ・ムラト忌の星しづか(百田登起枝)

「1996年11月7日に発見された小惑星は、Nakamuratetsuと命名された(小惑星番号19314。2020年6月3日発表)。中村氏は星になった。(すりいぴい)」
 
中村哲忌は、12月4日。

開戦記念日とジョン・レノン忌である12月8日の、4日前だと覚えておこう。空を見上げれば荒星が瞬いているはずだ。その中に、小惑星Nakamuratetsu があるに違いない。


地球に緑が溢れておりますように。美しい水が湛えられておりますように。ナツメヤシが育ち、サツマイモが蔓を広げ、心地よき風が吹きわたっておりますように。

人類の願いはたった一つ。三度の食事がいただける平穏な生活が続くこと。戦争なんぞ、している暇はないのだ、馬鹿者たちよ。
 

●秀作
 カカ・ムラト忌チトラル帽の砂ぼこり    (げばげば)
 機窓よりカカ・ムラト忌の冬ともし     (巴里乃嬬)
 中村哲忌月の砂漠を行くジープ       (仲 操)
 向き定まらぬカカ・ムラト忌のラジオ    (喜祝音)
 大地凍てカカ・ムラト忌の星しづか     (百田登起枝)
 石混じる砂へ彼の名カカ・ムラト忌     (鈴野蒼爽)
 カカ・ムラト忌小鳥は喉が渇かない     (立部笑子) 
 カカ・ムラト忌の水が少し重たい      (水蜜桃)
 戦車遮る水牛の群れカカ・ムラト忌     (星月さやか)
 カルキ臭カカ・ムラト忌の水を飲む     (水鏡新)
 中村哲忌砂漠を穿つ水熱し         (はぐれ杤餅)
 弾痕残るユンボ意のまま中村哲忌      (そまり)
 たましひは砂漠の真珠カカ・ムラト忌    (熊谷温古)
 紺碧のブルカにカカ・ムラト忌の風     (桜鯛みわ)
 「タシャクール」カカ・ムラト忌の水を汲む (夏草はむ)
 断水の蛇口鈍色中村哲忌          (イサク)
 妊婦汲む井戸水清し中村哲忌        (加田紗智)
 カカ・ムラト忌一隅照らす聴診器      (近江菫花)
 中村哲忌や用水路に蝶の翅         (主藤充子)
 カカ・ムラト忌ひかり湧き出す井戸を掘れ  (ノセミコ)
 このほしにカカ・ムラト忌のみづあふれ   (村瀬っち)
 砂漠ゆく中村哲忌の鍬の列         (内藤羊皐)
 アブジャドの綴り円やかカカ・ムラト忌   (澄海舞流生)
 ただ黙すパコール帽や中村哲忌       (浅学)
 カカ・ムラト忌死の谷の田に映る空     (立石神流)
 手慣れたる蛇かごの修理カカ・ムラト忌   (でんでん琴女)
 カカ・ムラト忌水があふれるように鳩    (上峰子)
 空砲の残響音やカカ・ムラト忌       (外鴨南菊)
 カカ・ムラト忌砂漠を森にするチカラ    (一斤染乃)
 中村哲忌真珠の水は累々と         (やまさきゆみ)
 中村哲忌紫煙染みたるパコール帽      (西川由野)
 カナートやカカ・ムラト忌の揚水機     (藤 雪陽)
 草を食むカカ・ムラト忌の孕み山羊     (かりそめのビギン)
 アザーンの残響ナカムラのおじさん忌    (ひでやん)
 側溝の水跡黒きカカ・ムラト忌       (秀田狢)
 中村哲忌土留めの石をひとつ置く      (戸矢一斗)
 来年の種黒々とカカ・ムラト忌       (此雁 窓)
 静かなる群カカ・ムラト忌の蛇籠      (比々き)
 中村哲忌カルキと緑青の蛇口        (丁鼻トゥエルブ)     
 生きてゐてカカ・ムラト忌の水を汲む    (羊似妃)
 クナールのせせらぎ清らカカ・ムラト忌   (有野安津)
 井戸を掘る重機のひかりカカ・ムラト忌   (みづちみわ)
 水のせる驢馬はいらないカカ・ムラト忌   (木原トモ)
 中村哲忌スコップに乾ぶ砂         (小野更紗)  
 真珠といふ名前の川よカカ・ムラト忌    (みずな)
 カカ・ムラト忌の蛇籠つよくつよく石を抱く (七瀬ゆきこ)
 星さんさん中村哲忌の用水路        (露草うづら)
 沐浴の湯の音中村哲忌の午後        (梵庸子)
 アフガンの地図の褐色中村哲忌       (中岡秀次)
 産声のごとみづ駆ける中村哲忌       (加座みつほ)
 中村哲忌銃声ひろう聴診器         (小菅信一)
 カカ・ムラト砂漠に興す星数多       (大渕 航)

●佳作
 高きより低きに水は中村哲忌        (ぽっぽ)
 哲さんの水や絶やさむカカ・ムラト忌    (野中泰風)
 アフガンへ命のみづをカカ・ムラト忌    (亀田かつおぶし)
 中村忌運河に続く友の道          (三日月なな子)
 無記名の川流る中村哲忌          (正念亭若知古)
 冬銀河記憶の奥にカカ・ムラト       (しん)
 カカ・ムラト忌六十五万のとなりびと    (高山夕灯)
 アフガンの地よ永久にあれカカ・ムラト忌  (長谷川遊山)
 カカ・ムラト忌砂漠の国の仏たち      (春海のたり)
 カカ・ムラトあの冬のこと思い出す     (本間孝男)
 ビコウズ・アイム・ア・ドクター滔々と中村哲忌(戸部紅屑)
 医療では飢餓は治せぬ中村哲忌       (くぅ )  
 中村哲忌診療つづくヌール         (山尾政弘)
 聴診器持つ手シャベルのカカ・ムラト忌   (松高網代)
 彼の国の薪炭憂う中村哲忌         (古庄萬里)     
 ストローの抜け殻に水カカ・ムラトの忌   (植木彩由)
 杯奉げ中村哲忌慰めむ           (遊泉)
 タシャコルはダリ語の多謝カカ・ムラト忌  (明惟久里)
 ムラト忌や人を守る眼の麗しき       (杉森大介)    
 「行動しか信じない」カカ・ムラト忌の夜空を眺む(立花ばとん)
 一隅を照らして今も中村忌         (道隆)
 バーミヤン大仏や中村哲忌         (宇野翔月)    
 人々よカカ・ムラト忌のたいようよ     (大野美波)
 アフガンに緑の大地カカ・ムラト忌     (山川腎茶)
 川流れ光を運ぶ中村哲忌          (みおつくし)   
 太陽の隠れけり中村哲忌          (伊丹八兵衛)   
 アフガンの古き画像や中村哲忌       (久保田凡)
 平和とは思い合う事カカ・ムラト忌     (一本槍満滋)
 急募あり第一原発中村哲忌         (横山ひろこ)
 冬蝶にカカ・ムラト忌を想いけり      (酒井直子)
 雨土を中村哲忌潤せる           (貴田雄介)
 赤と碧中村哲忌血と空と          (どこにでもいる田中)
 駆け抜けた命の力中村哲忌         (三休)
 何時までも世界に平和カカ・ムラト忌    (山口雀昭)
 カカ・ムラト忌寡黙なる男の勲章      (どいつ薔芭)
 道楽で井戸掘ると言ひカカ・ムラトの忌   (おかげでさんぽ)
 ひとすじの水は命やカカ・ムラト忌     (山羊座の千賀子)
 カカ・ムラト忌医師の操るショベルカー   (沙那夏)
 彼の地より中村哲忌出す手紙        (松本俊彦)
 国葬の在り方思う哲忌日          (羽馬愚朗)     
 用水路を辿りたる朝カカ・ムラト忌     (岸来夢)
 愛されしカカ・ムラト忌や道標       (五葉松子)     
 ムラト忌や今は昔に男あり         (鯨之)   
 中村哲忌「川の流れのように」聞く     (比良山)
 口ひげを伸ばし初むるやカカ・ムラト忌   (小だいふく)
 カカ・ムラト忌人道支援の戦
(いくさ)かな  (横溝惺哉)
 自習室で明かす中村哲忌かな        (阿部八富利)  
 中村哲忌声は西より届く          (遠藤玲奈)   
 その髭の白くやさしく中村哲忌       (西村小市)
 中村哲忌や銃声に「撃つな」        (みなづき光緒)
 桂花は露も香しカカ・ムラト忌       (菫久)
 遠い空彼の地で徳を積む君へ        (春風)  
 水水水中村哲忌水水水           (小木さん)
 一隅の光あまねしカカ・ムラト忌      (くま鶉)
 意志継ぐと中村哲忌若人が         (基人)   
 中村哲忌けふも名もなき家事を       (北欧小町)     
 中村哲忌いくさをしてる暇はない      (直)   
 一滴のやがて大河へ中村哲忌        (緒方朋子)     
 医術と重機を武器として中村哲忌      (さおきち)
 砂漠に髭の破顔カカ・ムラト忌       (伊予素数)
 生業の浮薄や侘し中村哲忌         (有翆)
 仁といふ生き方を知る中村哲忌       (小藤たみよ)   
 洗顔と洗濯と中村哲忌           (中村すじこ)   
 雨粒が雨粒を抱く中村哲忌         (うからうから)  
 カカ・ムラト忌空に襷の如く雲       (絵夢衷子)    
 カカ・ムラト忌清濁併せ呑む心       (竹内一二)    
 水道のレバー下げ中村哲忌         (梅鶏)   
 泥攫ひ終ふカカ・ムラト忌の水路      (音羽凜)
 シナプスの増えゆく砂漠中村哲忌      (世良日守)     
 脈触れる柔き指腹や中村哲忌        (永田千春)
 フリーズドライ中村哲の忌の豚汁      (すりいぴい) 
 バリカタのラーメン中村哲忌かな      (柚木みゆき)   
 新しき戦前や中村哲忌           (中島走吟)     
 武器捨てつるはしを持てカカムラト忌    (大岡秋)
 干ばつの地にカカ・ムラト忌の緑      (馬場美江)
 井戸水を汲みに集まる哲さん忌       (はやし央)     
 KAKA MURATO アクアの神に成り給う   (落合良枝)
 人信ず中村哲忌人信ず           (そら)

 
  • ■夏井いつき プロフィール
    ■夏井いつき プロフィール



    俳句集団「いつき組」組長。毎日俳句大賞「一般の部」「こどもの部」選者。
    テレビやラジオの出演の他、YouTube「夏井いつき俳句チャンネル」も開設。
    俳句の豊かさ、楽しさを伝えるため「俳句の種」を蒔きつづけている。