俳誌「鷹」

〈沿革〉月刊誌。昭和39年、水原秋桜子門の藤田湘子が中心となって創刊、同43年に主宰制になる。同58年から三年間継続した主宰の〈一日十句〉や、二物衝撃の重視を掲げた平成8年の第二次「鷹」発足宣言は、俳壇に刺激を与えた。ロングセラーとなった『20週俳句入門』(昭和63年)の著書もある湘子の元からは飯島晴子をはじめとして多くの俳人が登場した。平成17年、湘子の逝去に伴って編集長の小川軽舟が主宰を継承、編集長は髙柳克弘に交代し、後継体制の若さが話題になった。

〈主宰〉小川軽舟

■12月号の誌面から

明月に斑や平家なし源氏なし(小川軽舟)

二枚組の三角定規小鳥来る(細谷ふみを)

秋晴の妙案もなく老女われ(今野福子)

源氏名の名刺とマッチ清張忌(飯島白雪)

 

兼城雄の俳句時評は「意味と物」。岸本尚毅を取り上げ、『鶏頭』あとがきを手がかりとしながら、「意味」の世界から「物」の世界へと開かれた自由と恐怖に生きる現代の感覚を、最新句集『雲は友』所収の〈冬の雲何かの如く浮びをり〉〈絵の外に我立つてゐる涅槃かな〉などに見て取る。

座談会「類想類句からの脱却」。小川軽舟、奥坂まや、川原風人、髙柳克弘(司会)。自己模倣からの脱却にも話が及ぶ。「自分がどういう作品を作ってきたかというのを知らないとだめなんですよ。私なんか句集を作るときに初めて「こんなに毎年同じような季語で同じような俳句を作っていたのか」と愕然としました」(奥坂)。