発掘忌日季語辞典

忌日季語って何?

◆「キモノは難しい」なんて台詞を俳人の口から聞くと、和服の着付けか? と思ってしまうに違いない。「キモノ」とは忌日の季語を使った句を意味する。
 そもそも、人が亡くなった日が季語となっていることに驚く人も多い。「初めて歳時記買って、パラパラ捲ってたらいろんな人が死んだ日まで季語になってるのに驚きました」という俳句初心者の声もよく聞く。俳句を始めた頃、私も同じ思いを持ったが、季語と暮らしていくうちに、人の生き死にも季語と共に記憶されていくのだなと実感するようになった。
 父が亡くなったのは私が二十三歳の時。余命三年の宣告を受けての胃癌は、たった三カ月の闘病生活で終わった。一月二十日逝去、五十二歳。父の墓の傍らには二本の梅がある。一本は白梅。田舎の郵便局長だった父を慕ってくれる若い部下たちが、その白梅の下に佇んで、いつまでもいつまでもすすり泣く姿が今も思い出される。「局長さんの前に立つのはこわかったけど、よくよく考えてみたら怒られたことはないんです。大事に育ててもらったことばっかりで……」と泣いて下さることに感謝して、私たち家族も泣いた。 
 私の中で、父家藤信太郎の忌日は「白梅忌」だ。ちょっと取っつきにくい威厳はあるが、心根は温かい。まだ冷たい風に咲く白梅の澟々たる白は、春の訪れを告げる喜びの白でもある。父が好きだった花でもある白梅を見る度に、父を思い出す。
 人の死を悼む記憶のフックとして季語は機能する。我が父のように家族とその周辺の人間が共有するのみでは、歳時記に採録される力はない。が、多くの人びとに知られる人物の死は、多くの人びとの記憶のフックとなり得る。忌日を季語として共有させる力を持つ。
 例えば、私の愛読書の一つ『坂の上の雲』の著者司馬遼太郎さん。亡くなったのは一九九六年(平成八年)二月十二日。著書に『菜の花の沖』もあるが、司馬さんが生前からお好きだったという菜の花にちなみ、忌日は「菜の花忌」と呼ばれ、毎年この日に司馬遼太郎賞受賞式が行われている。司馬遼太郎記念館のHPによると俳句大会も開催されているとのこと。すでに毎年、「菜の花忌」の句が詠まれている。
 現在刊行されている歳時記に「菜の花忌」を採録しているものは少ないだろうが、ネット歳時記の類には例句を載せているものもある。「菜の花忌」は、次代の歳時記には確実に載る忌日に違いない。となれば、主たる季語として「菜の花忌」、傍題として「遼太郎忌」も考えられる。
 例えば、小説家芥川龍之介の忌日は、主たる季語として「河童忌」、傍題として「龍之介忌」「我鬼忌」「澄江堂忌」(「我鬼」「澄江堂」は俳号)がある。さらに小説家太宰治の忌日は「桜桃忌」、傍題として「太宰忌」。概して小説家は、亡くなった季節に合致した、あるいはその季節の気分に合った作品名を季語として冠するケースが多いようだ。
  「菜の花忌」と「遼太郎忌」、どちらも小説家司馬遼太郎の忌日であることに違いはないが、句作上この二つの季語はまったく違うイメージを発揮する。「菜の花忌」は、おのずと菜の花の光景が立ち上がってくる。春の明るい陽光、心地よい風、その向こうに小説『菜の花の沖』の世界も広がり、作者への畏敬の念や追悼の思いも添うてくる。
 が、「遼太郎忌」となると人物とのガチンコ勝負。「菜の花忌」のような季節感を手放し、司馬遼太郎という人物の業績・人柄・作品等を核として句作するしかない。つまり、季節感ではなく、人名の持つ連想力が季語の主成分となるわけだ。
 季節感の薄い忌日季語で作句する場合、別の季語と取り合わせて季感を補てんすることもある。

 河童忌や長引く梅雨の水たまり 草間時彦

 太宰忌の蛍行きちがひ行きちがひ 石川桂郎

 葛水や何の弱りの業平忌 森 澄雄

 さまざまな手法はあれど、忌日季語がどんどん増えていくことだけは間違いない。だって、人はどんどん死んでいくんだし、ネット社会の今、人びとの死は世界中に発信されていく。いずれ百年後の未来には、忌日季語だけで春夏秋冬新年の別冊が必要となってくるかもしれない。
 そこで、時代の魁として『忌日季語辞典』の編纂を試みることにした。季語に匹敵する強い連想力を持つ人物の忌日を発掘するのが、本活動の目的である。そのために、忌日季語発掘委員会を組織する。読者諸氏も、忌日季語発掘委員の一人となって、例句作りや情報収集に協力して欲しい。
  「菜の花忌」のように、次代の歳時記に必ず載るとわかっているものは、未来のみえている忌日季語。発掘するまでもなくすでに存在している。その手の忌日ではなく、日本人誰もが知っているけれど、誰もが季語になるとは思っていない忌日を発掘するのが、我々、忌日季語発掘委員会の使命だ。
 本稿では、毎回、発掘した忌日が現実的に季語となり得るかを検証するため、例句を募集する。次号にて入選を発表。あまりにも入選句が少ない=忌日季語としての未来はないのは浮かばれない。その忌日季語を百年先の未来へ残すためにも、読者諸氏の力作を期待する次第である。

 百年先の未来に向かういつの日か、まさかの書籍化! なんて夢も叶うかもしれない。その点も了解の上にて、ご投句いただきたい。