俳誌「鷹」

〈沿革〉月刊誌。昭和39年、水原秋桜子門の藤田湘子が中心となって創刊、同43年に主宰制になる。同58年から三年間継続した主宰の〈一日十句〉や、二物衝撃の重視を掲げた平成8年の第二次「鷹」発足宣言は、俳壇に刺激を与えた。ロングセラーとなった『20週俳句入門』(昭和63年)の著書もある湘子の元からは飯島晴子をはじめとして多くの俳人が登場した。平成17年、湘子の逝去に伴って編集長の小川軽舟が主宰を継承、編集長は髙柳克弘に交代し、後継体制の若さが話題になった。

〈主宰〉小川軽舟

■10月号の誌面から

松赤く枯れしみささぎ田水沸く(小川軽舟)

人前に出してはならぬ竹夫人(加藤静夫)

郭公や味噌樽に積む河原石(志田千惠)

祭の夜業務日誌に花火描く(星 伸昭)

 

兼城雄の「俳句時評」は「変わりゆく季節」。〈初雪と子の言ひ来たり通夜の卓 相子智恵〉〈スカイツリー見ずや冷たき缶集め 髙柳克弘〉〈眠たげなこゑに生まれて鱈スープ 小川楓子〉を取り上げ、現実の自然環境や生活様式が変容する現代における季語のありようを考える。

大塚絵里香「成功体験」は就職氷河期のはじまった時期に短大に進学し、その後の生活でも成功体験の飢えを感じてきた筆者のエッセイ。〈#生理の貧困聖五月〉で鷹集巻頭を得て「私は私のままで良いんだ」と喜んだ。「しかし、お昼になってテレビを点けると私と同い年の男が安倍元首相を銃撃した、というニュースが流れていた」。