本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

「傍点」創刊号 長嶋有・主催


  2021年7月
  定価:1000円+税


 

  「傍点」は長嶋有氏が〈主催〉として発行した俳句同人誌。長嶋氏は2002年に「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞した純文学作家ですが、作家デビュー以前から俳句を作っており、〈すわる鳥なくて寂しい彼岸かな〉などを収める句集『春のお辞儀』(2014)も刊行しています。「傍点」は2014年に氏を中心としてTwitter上で結成された俳句グループで、ウェブや対面での句会を重ねたのち、このたびの同人誌発行となりました。創刊号には、これまでに開催された句会を紹介する「傍点の十句会」や、2019年に早世した同人・新井勝史氏(俳号・あら丼)の作品を取り上げる「あら丼さん」、長嶋氏が自身の句歴を語る「傍点夜明け前」のほか、池田澄子氏、村井康司氏それぞれのインタビューが掲載されています。

 

 「傍点」の雰囲気は「傍点の十句会」で紹介されるユニークな句会や吟行のスタイルを知ることでわかります。深夜の都市部で句作する「東京タワー夜吟行」、『ドラえもん』の作者、藤子・F・不二雄の忌日を修して小学館で開催した「藤子・F・不二雄句会」、子どもや孫を詠む俳句はやめろという俳句指導の「あるある」を疑って子どもしばりで句作する「なんでこんなにかわいいのかよ句会」などなど。

 

 酔狂で起きていて切るメロンかな 長嶋有(東京タワー夜吟行)

 どら焼きの餡黒々と見えており 徳山雅記(藤子・F・不二雄句会)

 春惜しむもう使わない軽き匙 土佐光見(なんでこんなにかわいいのかよ句会)

 

 さまざまな趣向の句会が紹介されていますが、とりわけ目を引くのは「選句変更可能句会」。発案者の森住寛子氏によると、あるとき長嶋氏が「取り逃した!」というフレーズを次のように説明したことがきっかけだったといいます。

 

 自分が選ばなかった句へ他の誰かが超明晰な解釈を示し、座が感心した際にすかさずこれを放つと、おのれの浅さを認めながらも「ふだんの自分なら理解できた」と暗に主張できる便利な言葉

 

 このフレーズは句会内で安易に流行したために禁句となったものの、〈初見では多くの人に素通りされた句も、解釈の名手に見つかり語られたあとに選をおこなえば、点の入りが変わって一発逆転なんてことがあるかもしれない〉と考えた森住氏は、選評後に並選のうち一句を変更できるというルールのこの句会を着想したそうです。

 

 かくのごとく「傍点」の活動には遊びの精神が横溢しているのですが、それはグループを束ねる長嶋氏が俳句と出合った場所が、俳壇や結社からは離れた、1990年代のパソコン通信のコミュニティだったことと無縁ではないでしょう。90年代当時、パソコン通信サービス「ASAHIネット」には文芸の関係者やファン、作家志望者が集っていました。筒井康隆氏の長篇小説『朝のガスパール』の連載中、読者がBBSに投稿するコメントがリアルタイムで作品に反映される企画が進行したり、プロ作家による選考や応募者同士のデイスカッションが「ASAHIネット」上で公開進行する「パスカル短篇文学新人賞」が開催されたりと、魅力的な空間だったのです。

 

 この時期の「ASAHIネット」では俳人でもある作家の小林恭二氏を中心に、筒井康隆氏、堀晃氏、北野勇作氏、菅浩江氏、薄井ゆうじ氏といった作家らが句会をしていたとか。その後94年頃に小林氏が寺澤一雄氏や小澤實氏などの俳人を招いて、パソコン通信上で「闇汁句会」を開始、さらにその参加者らが「第七句会」を立ち上げます。「パスカル短篇文学新人賞」の応募者だった長嶋氏は、応募仲間たちの遊び場に加わるという意識で「第七句会」に参加したのが、俳句との出合いだったといいます。氏によると「ASAHIネット」の雰囲気は主要人物だった筒井康隆氏の影響が大きく、句会も〈根の部分にSF、ジャズ、みたいな要素がある奴らが、ワイワイと面白さを形成する場所〉(「村井康司さんインタビュー」)だったそうです。

 

 こうした場所から出発した長嶋氏だからこそ、「傍点」にも遊びの感覚が濃厚なのでしょう。「傍点」結成の契機は、2011年にTwitterで氏とともに言葉遊びに熱狂していたユーザーたちが、氏が出演する公開句会イベント「東京マッハ」で俳句を知り、氏を中心とする句会が誕生したことだったそうです。

 

 氏は、自身と「傍点」同人が俳句史や名句をよく知らないのは弱点だ、と述べます(「傍点夜明け前」)。だからこそでしょうか、氏と交流のある池田澄子・村井康司両氏のインタビューでは、俳句史や名句が話題になります。例えば池田氏のインタビューにはこんな一幕が。

 

 長嶋 (前略)澄子さんは、戦争のことはもう一貫して、それこそ「脱皮する」じゃないけども、自然なこととして「俳句に、活字に残すんだ」っていうのが強くありますよね。


 池田 そうですね。三橋先生(注――三橋敏雄)が、結局、新興無季俳句の「戦火想望俳句」から出てますからね。新興俳句の弾圧……彼は若かったから弾圧されなかったけれども、自分の親しくしてた人たちがみんな投獄されたりしてるでしょ。それは最後までこだわったわけですよ。だから、私も書きやすかったですよね。先生も私が書くと喜んだし、私もそれを書こうと。だって、かわいそうじゃないですか、死んだ人。(「池田澄子さんインタビュー」)

 

 池田氏が戦争を詠むのを師・敏雄が喜んだというのは、あたたかな逸話ですね。

 

 ちなみに長嶋氏は、この創刊号をもって「傍点」を脱退し、以後は読者となるそうです。どこまでもエキセントリックな俳句同人誌というほかありません。(編集部)