本の森

編集部へのご恵贈ありがとうございます
2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『稲畑汀子俳句集成』


  2022年5月
  朔出版
  定価:12000円(税込)


 

 本年(2022年)2月27日に91歳で長逝した稲畑汀子氏(「ホトトギス」名誉主宰)の全句集。刊行準備中に亡くなられたとのことで、未刊句集『風の庭』も収録されています。伝統俳句を愛し、守ろうとしてきた汀子氏の生涯の句業を通覧できる大冊です。

 

 句集ごとに作品を見ていきます。

 

 第1句集『汀子句集』(1976年)で最も有名な句は、はじめて虚子選に入ったという〈今日何も彼もなにもかも春らしく〉でしょう。春が来たよろこびが平明な言葉でおおらかにうたわれています。〈夏の月美しきものそれは心〉も初期の句で、素直な詠みぶりに驚かされます。

 

 高度経済成長期の都市生活者の暮らしが積極的に詠まれているのも『汀子句集』の特徴です。

 

  避暑の娘に馬よボートよピンポンよ

  春灯を消せば天然色映画

  秋晴や遊ぶプランは控へ目に

  春愁のゲームに負けて居りにけり

  秋一と日主婦にもゴルフ日和かな

  乱棒なモーターボートの作る波

  簡単にスキーに行くと云はれても

  運転をあきらめ雪を引き返す

  説明書見乍ら育てたるしめじ

 

 「伝統俳句」という言葉のイメージからは意外に思われるかもしれない趣向の句ですが、高浜虚子のいう「花鳥諷詠」は人間の営みを含むものだとはよく言われる通りで、こだわりなく何でも詠めるところに伝統俳句のパワーがあるのでしょう。女性俳人の先達・中村汀女の句集が存外にモダンな題材に溢れていることも想起されます。

 

 3・4句目は「秋晴」「春愁」といった季語の本意を現代の暮らしの中で探りなおすような趣きの句。5句目が「主婦にも」というのは、ゴルフが男性社会のレジャーだった時代のゆえでしょう。8句目は女性の運転免許取得率がまだ10パーセント台だった頃の句だと思えば、当時の汀子氏の俳人像が想像されます。

 

 一方で、〈そのあたりほゞ片附きし焚火かな〉〈流れ来しものの中より水馬〉といった写生句、〈急ぎ来て薄暑を感じゐたりけり〉〈景変りつゝ菜の花のつづきけり〉といった戦後の「ホトトギス」の新感覚派的表現の句なども収録されており、祖父・高浜虚子、父・高浜年尾の指導のもとで大切に育てられた「ホトトギス」の新世代の俳人・汀子の姿が見えてきます。

 

 続く『汀子第二句集』(1985年)は〈落椿とはとつぜんに華やげる〉〈空といふ自由鶴舞ひ止まざるは〉などがよく知られる句集です。

 

  煮え過ぎのおでんに減つてゐし家族

 

 やや難解な語法ですが、食卓を囲む家族が減り、これまでだったらとっくに食べ切っていた量のおでんが残って煮えすぎになったという景です。「に」は「~によって」の意味で取り、「減つてゐし家族」は「家族が減っていたこと」と取り、終わりに「~に気づく」を補うと理解しやすくなります。夫の早世、子供たちの進学が重なった時期でした。〈長き夜の苦しみを解き給ひしや〉は父・年尾を看取っての句。人生の転換となる出来事が続いた時期の句集でした。

 

 一物仕立ての句が多いのも汀子氏の特徴です。『汀子第二句集』では次のような句が印象的です。

 

  かかはつてばかりゐられず焚火消す

  よく焼けてゐても小鳥の姿あり

  時不思議かく爽やかな日を得つつ

  秋団扇など役に立つ日なりけり

 

 柔軟な言語感覚で自在に詠まれています。

 

 『汀子第三句集』(1989年)は、〈初蝶を追ふまなざしに加はりぬ〉の句がよく知られています。

 

  ミュンヘンの秋晴を訪ふ日は又に

  ミュンヘンのすでに遠しやパリの月

  情報の無き上海の颱風に

  謁見を賜る春のヴァチカンに

 

 「ホトトギス」の主宰として国内外を旅する日々の句集で、海外詠も多数収録されています。二つの地名を無造作に詠み込んだ2句目からは高野素十の〈春の月ありしところに梅雨の月〉(『雪片』1952年)が思い出されます。

 

 続く『障子明り』(1996年)は1988年からの2年間という短い期間の句を集めた句集ですが、秀句が多くあります。表題句は、格調の高さから生涯の代表句のひとつとなった〈一枚の障子明りに伎芸天〉です。底抜けに素直な〈この出逢ひこそクリスマスプレゼント〉、「昭和」という言葉をどっしりと受け止めた〈人日の日もて終りし昭和かな〉もよく知られています。あまり引用される機会は多くありませんが、〈性荒き鵜を馴らす日々遅々とあり〉〈すぐ晴るる春の雪とてうつつなる〉〈その中の濡れし落葉も焚かれけり〉なども洗練された花鳥諷詠の句です。

 

 『障子明り』に見られる成熟は、『さゆらぎ』(2001年)でいっそう感じられます。

 

  波音のうつつに寄せて初明り

  美しき月日はじまる初暦

  雪晴も雪に暗むも遠野かな

  新涼の雲美しや信濃ゆく

  がたと榾崩れて夕べなりしかな

  さゆらぎは開く力よ月見草

  艶やかに冷やかに摩耶夫人かな

 

 季題を中心にした美の世界をたおやかに詠んだ句です。「うつつに寄せて」「美しき月日」「開く力」など、観念の世界が入り込んでくるようになっています。一方、〈三椏の花三三が九三三が九〉〈見てをれば投扇興はやさしさう〉など、汀子氏らしい天真爛漫の句も健在です。

 

 続く『花』(2010年)と『月』(2012年)は、それぞれ花・月に関する句で揃えた趣向の句集です。

 

  杉山の深きより花明りかな(『花』)

  深々と満ちゆけるもの月今宵(『月』)

 

 「雪月花」というように、花と月は季題の中でも歴史が長く、重要な季題です。伝統俳句を背負って立つ汀子氏は、この季題を横綱相撲で受け止め、詠みつづけ、季題の本意に迫ろうとしました。惜しむらくは「雪月花」のもう一つ、「雪」の句集が刊行されなかったことです。もし世に出ていたら、この仕事の価値はさらに高まっていたのではないでしょうか。

 

 『花』『月』はコンセプトに合う句を揃えた句集であったため、『さゆらぎ』以降のその他の句は、句集の形では世に出ていませんでした。本書に未刊句集として収録された『風の庭』は、本来は最新句集として、そして結果的には遺句集として世に出ることとなった句群です。

 

  又次の草に草笛改る

  桜榾真中にして雑木榾

  歌留多会正座崩してより強し

  使はざる香水減つてをりにけり

  皆その名聞く卓の花露涼し

 

 虚子以上の長寿を保った汀子氏。最晩年の句にいたるまで、優れた人事句・写生句がいくつもあります。

 

  一本の電話子規忌の供華のこと

  茫々として晴々と虚子忌かな

 

 伝統俳句のリーダーとして先達を祀る日々を重ねた氏の忌日俳句。1句目、氏の中で「子規忌」は生活の中の身近な行事としてあったことが窺えます。2句目には具体的な事物は一切描かれていません。「茫々」と「晴々」という異質な形容動詞が隣りあい、虚子という人物の計り知れなさを示唆します。

 

 こうして各句集を展望して見えてくることの一つに、叔母・星野立子の影響があります。もちろん、氏は第一に虚子に学んだ俳人であることは間違いありません。しかしながら、表現の方法には、『ホトトギス』の女性俳人の先達である立子の影響も強く感じられます。

 

  見た目には涼しさうよと云はれても

  遅れ著く人に春燈明うせよ

 

 『汀子第二句集』の2句です。立子の〈人目には涼しさうにも見られつつ〉(『実生』1957年)、〈秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ〉(同前)に学んだ形跡を感じます。立子の娘である星野椿氏に「私のルーツはね、立子叔母ちゃんよ。よく俳句の旅に連れて行ってくださって、いろいろ教えていただいたのよ」(栞・星野椿「昼霞」)と話したこともあったそうです。『障子明り』には〈立子忌を悲しみとせぬ日は何時に〉という句もあります。

 

 表現の特徴でいえば、「ホトトギス」の外の俳句ではあまり見られない語法の句が散見され、興味深く感じられます。

 

  飾るより留守をあづける雛となる(『障子明り』)

  大根を干すより湖北日和かな(『風の庭』)

 

 動詞の終止形に「より」が接続し、「~してから」の意味を表す語法です。

 

  又春をとゞむる雪の街となる(『汀子第二句集』)

  歳月の語る茂りの庭となる(『風の庭』)

 

 こちらは、場や時間が何かの契機や特徴によって印象づけられる、という意味合いの「となる」。

 

 伝統俳句を継承するという責任感の中で、探求と錬磨を忘れず、天性の感性も持ちつづけた汀子氏。ここで取り上げた句はごく一部です。全句集を通読し、氏の句業への理解をさらに深めていきたいものです。(編集部)