本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

マブソン青眼『句集と小説 遙かなるマルキーズ諸島』


  令和5年2月
  本阿弥書店
  定価:2500円+税


 

 あらゆる大陸からもっとも離れた場所に位置する孤島・フランス領ポリネシア・マルキーズ諸島ヒバオア島。かつて画家ポール・ゴーギャンや歌手・詩人ジャック・ブレルが最晩年を過ごした火山列島のこの島に、著者は2019年夏から1年にわたり、日本に妻子を残して滞在しました。もともと以前から日本社会の閉鎖性に疲れていたことがその動機だったといいます。

 著者は金子兜太に師事した比較文学研究者で、小林一茶の仏訳などのほか、近年は新興俳句の紹介にも注力しています。ヒバオア島では句作や小説の執筆に取り組みました。師・兜太は戦時中にトラック諸島に出征し、戦地である南方で句作しました。ヒバオア島でならばかつての師が作ったような「純粋な無季句」が詠めるのではないかと考えたそうです。島は一年を通じて気温が約27度。降水量も日夜の長さもほぼ変わらない、「季節なんか無いぞ」と思われる島。かねてから、俳句の本質は季語ではない、芭蕉にも一茶にも優れた無季句はある、と考えていた著者にとり、そのことを実作で示すための願ってもない期間となりました。
 
  無限大から無限大へカヌーかな
 
 ポリネシア民族はもともと中国南部の少数民族から分かれた民族です。五千年前、中国でホモサピエンスの最初の定住化が起こって人口が増加した際、彼らは台湾島へ移動しました。台湾島でも別の定住型民族に追い出される形となった彼らは、航海を試み、定住地を探してカヌーをこぎ続けました。彼らの原郷となるマルキーズ諸島に辿りつくまで、見渡すばかりの水平線しかない太平洋を移動しつづけたのです。著者はこの民族の遙かな昔の冒険に思いを馳せ、彼らが見たであろう海上の風景を「無限大」から「無限大」への移動だととらえました。
 
 なお「カヌー」は近年の歳時記では夏の季語として扱われることもありますが、そもそも季節という感覚のない島で無季句の実作を志向する著者にとっては、どのような言葉であっても日本の内部における「季語」の概念からは切り離されて存在しているものです。
 
  多弁にして荘厳にして夜半の洋
(うみ)
  家系図を読み上げるように波の輪唱(カノン)
 
 民族の歴史を想像させてやまない美しく、広大な海。その海を間近に見る生活の中で著者は、過去と現在が融け合うような感覚になっていったようです。「荘厳」「家系図」という歴史の厚みを示す語の選択には、民族に対する尊敬の念が籠っているのではないでしょうか。「洋」に「うみ」、「輪唱」に「カノン」というルビが振られており、言い尽くせない万感の思いが重層的に現われています。
 
  僕が僕に道を聞くなり銀河直下
 
 海だけではありません。島の地理、動物、植物、天空、すべてが新鮮にして壮大です。「銀河直下」が誇張でもなく感じ取れるようなこの島で、感覚は研ぎ澄まされ、「僕が僕に道を聞く」という内省も生まれました。新型コロナウイルスに感染して後遺症に苦しんだために帰国せざるを得なくなりましたが、それがなければずっと暮らそうかとも思っていたそうです。
 
 また本書には句集と同じタイトルの小説「遙かなるマルキーズ諸島」が収録されています。「俳壇」に連載された長編小説です。物語は新潟県上越市立水族博物館前の食堂からはじまります。妻子を連れた「マブソン」さんが登場するので、読みはじめた読者は私小説のようなものかと想像することになります。しかし一家のお目当ては水族館の「人魚ショー」。人間であるかどうか厚生労働省が認定の判断を近々行う予定の、本物の「人魚」が登場するのです。
 
 食堂で「マブソン」は、この店で最近働き出したというフランス人・ヨハンがヒバオア島の出身であることを見抜き、肝心の「人魚ショー」そっちのけで、彼の身の上話を聞くことにします。島の歴史や民俗が散りばめられたさまざまなエピソードを聞くうち、とりとめのない彼のおしゃべりが、実は「人魚ショー」と大きく関わっていることがわかってくるという筋書きです。(編集部)