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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します
令和3年10月
ウェッジ
定価:3000円+税(上下共)
いまなお多くの読者の関心を引いてやまない俳人・芭蕉。本書は俳諧研究の専門的知識を持つ俳人である著者が、有名・無名を問わず芭蕉句を取り上げ、成立背景や表現の趣向・特徴について平易に評釈しながら、その句と関わりの深い「風景」を実際に訪ね、自身でも句を詠んだエッセイ集です。2000年から「ひととき」「L&G」に連載されたものが発句の成立年順に再配列・加筆修正されています。
句の解説にあたっては芭蕉の伝記的事項や俳諧史的特色、典拠などについて、さまざまな近現代の注釈書に丁寧に当たられたようで、現代俳句を読み馴れた読者にはややわかりにくくもある近世俳諧の読み方が、初心者にもわかりやすく示されています。
最初に取り上げられる寛文6年の最初期の句〈京は九万九千(くまんくせん)くんじゆの花見哉(かな)〉を例にしてみましょう。著者はまず「京都には家が九万九千あると言われているが、その家を出てきた人々が、貴いものも賤しいものも群れ集まって花見を楽しんでいることだよ」という句意を提示します。では、なぜこの句をそのように解釈することができるのでしょうか。それを理解するには語注が必要です。著者は読者がつまずかないように、懇切に説明します。
まず「九万八千」という家の数はどうでしょう。井原西鶴の『本朝二十不孝』(貞享3年)でも紹介されているように、安土桃山時代、京都には九万八千の家があるとされていました。芭蕉句は「それを千増やして、景気よくK音を並べて調子良くしている」のです。
平仮名で書かれている「くんじゆ」は「九千九百」につづく桁の「九十」(くんじゅ)と「群集」(くんじゅ)の掛詞です。正確には、「九千」(くせん)の部分も掛詞になっています。というのも、世阿弥の謡曲「西行桜」などに用いられている「貴賤群集(きせんくんじゅ)する」という言い回しがあるからです。著者が句意に「貴いものも賤しいものも」というニュアンスを加味しているのはこのためです。「謡曲「西行桜」の後半は、京の花の名所尽くしになっている。(中略)謡曲好きだった芭蕉は、この曲に親しんで、京の花に憧れ、掲出句を作ったのかもしれない」と著者は推測します。
奔放な俳諧の言葉遊びに慣れない読者は、「くせんくんじゅ」と「きせんくんじゅ」は音が違うから掛詞にならないではないかと思うかもしれません。そんな読者の声を予想してのことでしょうか、小澤氏は「一字ずれてしまっているが、それも楽しい」とフォローしています。このような微に入り細に入った解説を読み進めるうちに、読者は、近世俳諧の言葉の世界にだんだんと慣れてゆくはずです。
これは言葉遊びを多用する貞門俳諧時代の句のため、いきおい典拠や使用例の問題が話題の中心になってきますが、注釈が必要なのは、以後、自家の蕉風を確立してからの句であっても変わりありません。画賛として詠まれた〈山吹や宇治の焙炉の匂ふ時〉(元禄4年)がその一例です。鮮明な山吹の黄色という視覚的情報と、茶葉を乾燥させる焙炉という嗅覚的情報がみごとに取り合わされた句ですが、著者は芭蕉発句の注釈書『笈の底』(寛政7年)に「山吹は宇治という名所につきものの花である」という意味の一節があることを紹介しつつ、宇治と山吹の配合が古い和歌にも多いことを指摘します。
「山吹」と「宇治」の組み合わせが文学的なお約束であるということで鑑賞を終わらせるのではなく、その上で、この句をよりよく読もうとするのが著者の姿勢です。この句を画賛とする芭蕉自身の絵が現存することを述べつつ、著者は「五七五音しかない発句の限界を認識した上で、新たな可能性を探しているのではないか。たしかに山吹の花は絵に描けるが、焙炉の匂いを描くことはできない。絵と句とで新たな世界を作りだしている」という評価を与えています。
そして実際に寒晴の宇治を訪ね、茶を焙じる匂いを嗅ぎ、ついでに「宇治に来たら、平等院を訪ねないわけにはいかない」と平等院まで足を伸ばし、「山吹の花の色は、平等院の如来の肌の金色も思い出される。掲出句の背後に、平等院が、そして、阿弥陀像が、浮かび上がるような気もしてきた」と想像の翼を広げます。最後に著者は〈鳳凰堂万物すべて枯れ尽くす〉〈丈六の阿弥陀座しをる枯野かな〉という句を詠んでいます。芭蕉の〈山吹や宇治の焙炉の匂ふ時〉とは、表面上は呼応するところのない句ですが、著者の想像と思索を辿った読者であれば、二人の俳人の間に通路が生まれていることを発見するにちがいありません。(編集部)
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