本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『雨滴』山西雅子句集


  令和5年1月
  角川文化振興財団
  定価:2700円+税


 

 「舞」主宰、「星の木」同人の第3句集。平成21年から令和3年までの句を収めます。多彩な表現が織りなす骨太の俳句が並ぶ句集です。

 

  寒明や竹花入のまだ青う

  日盛やぐいと実れるズッキーニ

  海の家卓球台も備へたり

 

 1句目、茶会でしょうか、竹製の花入が、まだ生竹のように青々としています。年季が入ってきたものとはまた違う好ましさが感じられ、またつややかな青さが「寒明」の空気とも響きあっています。「青う」というウ音便の響きが一句の格調を高めてもいます。

 

 2句目は「ぐいと」という副詞で太陽の光に育てられたズッキーニの太さを絶妙に表現した句。どの言葉も夏の充実感をたっぷりと伝えます。

 

 3句目は海水浴場の愉しさが横溢した句。「も」という助詞や「備へ」るという動詞の斡旋が、軽食を取りながら休めるだけでなく水着のまま卓球で遊べるとは、とこの景色を愉快がる作者の視線を感じさせます。この一句を詠んだあと、そのまま立ち上がって卓球台に向かっていきそうな雰囲気です。

 

 寒明の空気と真新しい竹花入、日盛とたっぷり太ったズッキーニ、卓球台まである愉しい海の家――どの句もモノの質感や場面の空気感が丁寧に書き込まれており、なおかつ言葉運びの巧みさが感じられるようです。

 

  潮くさき髪をほぐせる初湯かな

 

 元旦から海の町に繰り出し、辿りついた宿で洗髪しているような景です。湯船にゆったりとつかりながら新年のめでたさや年の改まったすがすがしさを思うという一般的な「初湯」のイメージからはやや離れた、特殊な「初湯」のシチュエーションといえるかもしれません。特に「潮くさき髪」という卑近で即物的な身体の表現と「初湯」との配合に驚かされます。一方で、逆に言えば、「初湯」という強力な新年の季語の句であるからこそ、「潮くさき髪」という素材も詩的なモチーフのように感じられてくるでしょう。潮風に晒されてぼさぼさになった髪を洗うさまを「ほぐす」という動詞で捉えたのも秀抜です。

 

  寄貝の渚に年を惜しみけり

  釣堀に君と映らむ一日かな

 

 1句目、「寄貝」は渚に打ち寄せられた貝。この句は「の」をどう解釈するかで内容が変わります。主格と取れば、打ち寄せられた貝が渚で年を惜しんでいるという想像の景。連体修飾格と取れば、貝が打ち寄せられる渚に来た人が年を惜しんでいる景。

 

 2句目は「君」と呼ぶ関係の人と一日中釣堀で並んで過ごす、小さな幸せの時間を詠んだ句。助動詞「む」が使われています。助動詞「む」は下に名詞がくるときには婉曲の意味になります。この場合は、釣堀に君と映るような一日、です。しかし現代俳句では、下に名詞がくる場合でも意思や推量の意味で使っていると思われる例も多く見られます。その場合は、釣堀に君と映るだろう一日、です。前者だと一日が終わったあと、後者だと一日のはじまりから詠んでいるような印象です。

 

  燕雀焉んぞ鴻鵠のビール干す

  きうりみづみづし遠来の友若し

  蒸飯ふかしすぎたる涙かな

 

 テクニカルな3句。1句目は『史記』の「燕雀焉(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや」という文句を踏まえた句。小人物は大人物の大志をさとることができないということのたとえ(『日本国語大辞典』)です。大人物に相応しい特大ジョッキのビールは小人物には飲み干せまい、と洒落めかしたのでしょう。あるいは文字通り読めば、小人物が僭越にも特大ジョッキをぐいっと飲み干してしまった、という景かもしれません。

 

 2句目には『論語』の「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」が遠く響きます。もてなしに出した胡瓜の瑞々しさを友の若さに喩えてことほいでいるのです。

 

 3句目は省略の利いた句。散文で述べようとすれば「湯気に目が刺激されて出た」という言葉を足す必要がありそうです。滑稽味のある句ですが、俳句の骨法を踏まえた述べ方になっています。(編集部)