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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します
2022年1月
朝日出版社
定価:1760円+税
TBS系列のテレビ番組『プレバト!!』でおなじみの著者の新句集。表記も表現の一部という信念のもと、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いのどちらで俳句を発表するかはその都度考えてきた著者ですが、「現代仮名遣いでも充分表現できる」と考えた四十代を経て、今回句集を編むにあたっては、歴史的仮名遣いで載せたい句が多いと考え、歴史的仮名遣い表記に統一したそうです。
このエピソードからも窺えるように、表現に対する夏井氏の思い入れには並々ならぬものがあります。
『プレバト!!』での添削を見ていても感じられますが、句またがりや破調を多用し、韻律の屈折を好むところに氏の俳句の個性があります。
アルファベットのKが一番寒いと思ふ
金閣炎上せし日のごとき霰かな
ミイラ包むやうなこんな蒲団に寝よといふか
流れ星だつたか馬の夢だつたか
句またがりや破調の句から引きました。放埒な想像力から繰り出される強烈なフレーズと相まって、一句一句に華があります。「一番寒いと思ふ」と突然名指しされる「アルファベットのK」、背徳的な豪奢さを伴って空から降ってくるという霰、単に薄くて古いだけでない雰囲気を持った蒲団、駿足の馬に去来した一瞬の夢のような速さの流星。「なぜ?」「どんな?」と読者の足を止めるような詩的断定に満ちています。
秋風のたてがみを持つ男なり
「夫へ」という前書きをもつ一句。秋風に吹かれて逆立った髪がライオンや馬などの動物のたてがみのように見えます。そんな強い動物のイメージが似合う男だ、というわけです。この内容を「秋風のたてがみを持つ」と省略して表現したのが巧みです。「才能ナシ」の俳人であれば、「吹かれる」や「ような」といった言葉を入れようとして収拾がつかなくなってしまうところでしょう。
かつて龍でありし山ざくらと聞きぬ
校舎より見ゆる泉の名を知らず
フィリピン語少し話せる生身魂
落ち着いたトーンの3句。1句目の「ぬ」は完了の助動詞。龍が桜になったという伝承そのものではなく、伝承を聞いて思わず息をのむようにひととき山桜と向き合う視点人物の姿が描かれています。
2句目は山林に近い学校の生徒の視点でしょうか。泉が見えるということは校舎の上の方の階でしょう。学校ごとに違いはあるでしょうが、上級生かもしれません。授業中、窓からよそ見をするといつも見える泉。その名前をはじめ、知らないままで卒業してゆくことの多さに一瞬思いを馳せます。
3句目の「生身魂」はお盆の時期に祖霊とともに祀る一家の長老のこと。現代のお年寄りでフィリピン語が「少し話せる」といったら、第二次世界大戦中にフィリピンにいたのでしょう。日本は戦時中、フィリピンを占領し、戦争末期には奪還を目指す連合国側との戦闘も激化しました。戦争の記憶がある、と詠めば説明的な句で、「フィリピン語少し話せる」と描写したところに技があります。(編集部)