本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『俳句と人間』長谷川櫂・著


  令和4年1月
  岩波新書
  定価:860円+税


 

 岩波書店の月刊誌「図書」に連載されたエッセイの書籍化。皮膚がんの手術によって死を意識するようになった著者が、子規、漱石、芭蕉、蕪村、三島由紀夫、大伴家持、石牟礼道子、ダンテ、目崎徳衛、照井翠など古今の文学作品を例にしながら、死生観や明治の日本社会、現代の民主主義まで幅広く論じます。

 

 氏は、自身の考えを説明するにあたって、古今の文学作品をいくつも引き合いに出し、並べてみせるのが巧みな書き手です。例えばがんの検査の結果を待つ時期に執筆された「魂の消滅について」の章には、『平家物語』における平知盛の最期を紹介する一節があります。壇ノ浦の合戦にて最期を覚悟した知盛は「見るべき程の事は見つ」という名台詞を吐きます。ここで著者は「しかし死に直面して誰もがそういえるわけではない」として、乳がんで没した河野裕子の最期の歌〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉、そして闘病を経て退院を果たした長井亜紀の〈退院の輝く世界へサングラス〉を並べます。長井句は「へ」を入れたために字余りになった句です。しかし氏は述べます。

 

 誰でもこの世界に生きていなければできないことが山ほどある。それを果たすために母として妻として人間として生きてゆこうという意志の「へ」だろう。

 

 このように、引用される作品は、各章のテーマに基づいた視点で解釈されていきます。

 

  病牀の我に露ちる思ひあり 子規

  菫程な小さき人に生れたし 漱石

 

 子規の句は明治35年、「丁堂和尚より南岳の百花画巻をもらひて朝夕手を放さず」の前書きのある句、漱石の句は明治39年、日露戦争の翌年の句です。近代俳句黎明期を生きた二人の句を、氏は、国民ひとりひとりが「有為の人」となって国家を支えることが理想とされた明治という時代の精神を考慮して読み直します。すなわち、「露ちる思ひ」とは「日本の役に立ちたいという大望を抱いているのに、病気のせいでそれができない」というやむにやまれぬ思いであり、小さな菫の花のような人とは、「明治の国家主義から外れた漱石のささやかな理想」なのだ、と。

 

 人生や社会を照射する文学の射程を再認識させてくれる一冊です。(編集部)