本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『耳澄ます』甲斐由起子句集


  2022年7月
  ふらんす堂
  定価:2700円+税


 

 句集『雪華』(平成24年)で第36回俳人協会新人賞を受賞した著者の第3句集。父を在宅で介護し、看取った時期を含む、平成24年から令和3年までの句を収めます。

 

 氏の句に通底するのは清澄な詩性です。

 

  潮騒や梢の中の初雀

  昼三日月ほのと野遊びなどせむか

  つかみたる螢の尻の硬さかな

 

 一句目の季語「初雀」は新年に最初にみる雀のことですが、身近にいる雀さえもどこかしらめでたく感じられるという「初雀」の本意とはうらはらに、この句の「初雀」は、詩的な情景に溶け込んでいます。姿も梢に見え隠れするだけではっきりとは見えず、鳴き声にも潮騒が重なります。

 

 季語の持つ古典的なイメージを作者の詩性の世界が乗り越えてゆくのが氏の句の特徴で、二句目の「野遊び」も、季語でありながら主役ではなく、「昼三日月」という美しいモチーフとしずかに並び立ちます。まひるまに淡く見える三日月にどこか心惹かれるような気分から、野遊び「など」してみようか、という思いが湧いているのです。

 

 三句目の「蛍」も、本意は、闇に浮かび上がって相手を恋いる光のさま。作者はその蛍を手にとり、光を放つ尻が存外に硬質であることに驚きます。単に硬いだけではなく、硬いことがまるで蛍のかそけさの一部であるかのように詠まれています。

 

  馥郁と朝の月あり唐辛子

 

 この句など、「唐辛子」という無骨で日常的な季語が、これほど美しく詠まれていることに驚かされます。「馥郁と」はよい香りが漂っているさまです。

 

 どんな景にも清澄さ、美しさを見出す作者の眼は、大切な人との別れにも向けられます。

 

  秋夕焼最晩年の父と見し

  白鳥に声を遺して逝かれしか(前書き:「悼 有馬朗人先生三句」)

 

 〈秋夕焼…〉の句は、父の逝去よりも前に詠まれています。介護を担う作者は、父がもう長くないことを認識し、その父とともに自分が秋の夕焼と相対したひとときを、意味づけているようです。〈白鳥に…〉の句は、師・有馬朗人の逝去に際しての句。すでに師の肉体も精神もこの世界にはないけれど、肉声は白鳥に託されたのではないか、と想像します。

 

 師への追悼句のような、詩性に基づいた想像力も、この句集の特徴です。

 

  夕暮れは生者に永し鉄線花

  青葉木菟たましひの耳澄ますらむ

  かなかなやしづかに時の醸さるる

 

 死者の感覚で夕暮れに身を置いてみて、生者である自分の存在を意識するひととき。夜闇をゆく者の気配に聡い青葉木菟は、「たましい」が「耳」を澄ましているのではないか、という想像。鳴きつづけるかなかなを聞きながら、身ほとりに流れる時間が熟成し、醸されてゆくような感覚。二句目の「たましひの耳」の「の」は主格の「の」、「らむ」は現在推量の助動詞です。青葉木菟は今きっとたましい自体が耳を澄ましているだろう、の意。古典文法の表現の多様さもこの句集の特徴です。

 

 著者の感覚を言葉で追体験するような一冊です。(編集部)