本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『草田男深耕』渡辺香根夫・著、横澤放川・編


  令和3年11月
  角川文化振興財団
  定価:1800円+税


 

 近現代俳句を代表する俳人の一人である中村草田男には、〈蟾蜍長子家去る由もなし〉〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉〈玫瑰や今も沖には未来あり〉〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉〈葡萄食ふ一語一語の如くにて〉など広く知られた句が数々ありますが、これら代表句の大部分が戦前から昭和20年代までに詠まれており、昭和58年に長逝するまでの後半生の句は、読まれる機会が多くありません。

 

 その大きな原因は、ある時期からの草田男が句集をまとめることに熱心ではなかったことにあると思われます。『美田』(1967年)や『時機』(1980年)は刊行年と収録句の発表時期に大きな隔たりがあり、晩年の約20年間分の句は生前に句集としてまとめられることさえありませんでした。

 

 本書は成田千空に師事したパスカル研究者が「萬緑」に発表した中村草田男に関する講演録・一句鑑賞・評論をまとめた一冊。一句鑑賞である「草田男深耕」「草田男再耕」は、これまでの草田男論で取り上げられることが極めて少なかった後半生の句を扱ったものです。

 

 戦前にすでに「難解派」と呼ばれることもあった草田男ですが、その表現はむしろこの時期になっていっそう晦渋になっていきます。著者はそのような草田男句を丁寧に読み解いていきます。

 

 例えば昭和38年、草田男62歳の年の句に〈嘱目界も後二十年朝日と虹〉があります。見るからにとっつきにくい句ですが、著者は次のように鑑賞します。

 

 嘱目界とは俳人が凝視の対象として意識している限りでの現象世界である。それは存在の窓のようなもので、俳人はそれを通して世界の内部へと観入する。現象を通して現象の背後へ廻りこもうとする眼の努力を〈写生〉というのである。そのとき嘱目界はいわば存在の意味作用となる。「朝日と虹」原初の太陽光と七色の分光はその象徴である。それあって草田男は生涯〈歓喜〉と〈驚き〉とを語り得た。掲出句には帰天の時を遙かに予見しているおもむきがある。奇しくも二十年後の夏、草田男は帰らぬ人となった。

 

 「嘱目界」という造語や「朝日と虹」の象徴性をどのように理解すべきか、その道しるべとなる鑑賞です。「現象を通して現象の背後へ廻りこもうとする眼の努力を〈写生〉というのである」という一節はこれ自体が秀抜なアフォリズムの趣きです。評論を読み慣れていない読者には、氏の鑑賞もまた難解だと感じる向きもあるかもしれませんが、逆にいえば、学究の「読み」に耐えるのが草田男の作品なのであって、草田男はよき読者を得たということでしょう。思えば代々の「萬緑」には硬派な論客が絶えません。

 

 〈向日葵突伏し密封大地を窺へる〉〈花火連打天授の我が迂愚も映えつづく〉〈思ひ捨てて臥せしへ椎の夏木の声〉など、草田男にはこのような句もあるのかと驚かされることもしばしば。闘病する著者に代わって原稿を整理した横澤氏が「向後の草田男研究に欠かすことのならぬ文献となるだろう」(「編註」)と述べる通りの一冊です。(編集部)