本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『四明句集』坪内稔典・編


  令和3年7月
  ふらんす堂
  定価:1320円+税


 

 大阪俳句史研究会が刊行してきた「大阪の俳句 明治編」シリーズの一冊。正岡子規が率いる「日本」派の俳人である中川四明(嘉永3〈1850〉年~大正6〈1917〉年)の俳句を四季別に配列した句集です。まずは所収の年譜を元に四明という俳人の人生を見ていきましょう。

 

 嘉永年間に京都で生まれた四明は、明治4年に京都府欧学舎独逸校に入学してドイツ語を習得した知識階級の人物です。京都府師範学校が設立されると理化学の教員となり、以後、本名の重麗名義で理化学の教科書や翻訳書を多数出版します。その後、明治17年には東京大学予備門の教員となりますが、明治22年には日本新聞社に入社します。翌年には退社して京都へ戻り、「中外電報」を経て「日出新聞」に入社、ここで同僚の巌谷小波らと俳句を作ったのが俳人としての出発です。

 

 この頃、日本新聞社には正岡子規が入社し、新聞「日本」は俳句革新の牙城となっています。その熱は関西にも及び、明治29年、四明は関西の「日本」派俳人とともに、日本新聞社の新聞「日本」に予告を出して「京阪俳友満月会」を催行しました。明治33年には俳誌「種瓢」を、明治37年には俳誌「懸葵」を創刊、当時はドイツが最先端を担っていた美学を俳論に取り入れながら、関西に「日本」派を根付かせていきます。

 

 さて、正岡子規の「日本」派といえば、風流や機知に頓着する旧派俳人を批判し、絵画の技法である写生を取り入れて新しい俳句を目指したことで知られています。しかしながら、写生提唱以後のすべての句がそうした意識で作られているわけではなく、当の子規にも典拠を踏まえる旧派風の句が散見されるという事実はしばしば指摘されるところです。「日本」派=写生、という図式では理解しえないのは四明であっても同様で、とりわけ四明は、編者の坪内氏が〈故事来歴に通じた知識がその句を難解にしている、と言っていいだろう。(中略)四明の体現していたこの一見古い世界は、明治時代の京都の現実の一面であった〉と指摘する通り、今では失われた明治人の常識がわからなければ解釈のしようがない句が多いのです。

 

  山猿に論語塗られな柿の塾

 

 「な」は詠嘆の助詞。「柿の生る私塾で、山猿に論語を塗られてしまったなあ」というような意味ですが、言わんとするところがよくわかりません。実はこれ、論語猿という逸話を踏まえたものなのです。戦国武将・加藤清正の飼猿が、あるとき目を離した隙に清正の論語を筆で塗りつぶしてしまいます。しかし清正は、猿も聖賢の道に関心があるのだろうとみなして、猿を叱らなかったといいます。この論語猿の逸話は、浮世絵師・月岡芳年が題材にするなど、明治時代には広く知られたものでした。掲句は、私塾に実る柿を狙ってやってきた山猿が、清正の猿のように論語の本を塗りつぶしてしまった、と滑稽に詠んでいるのです。

 

  角鷹を夢に子猿の叫びかな

 

 猿の句をもう一句。「角鷹」は大型の鷹・クマタカの別名です。夢の中で角鷹と出くわしたいたいけな子猿が、襲われないかとおびえて寝言で叫んでいるという情景でしょう。この句は漢詩によく出てくる「哀猿」という詩句を元にしています。猿の声に悲哀が感じられるというニュアンスの言葉で、平安時代の詞華集『和漢朗詠集』に収められている〈五夜の哀猿月に叫ぶ〉の一節が有名です。また謡曲や俳諧など他のジャンルでも、漢詩を踏まえ、猿が悲しげに鳴く様子が描かれます。四明の掲出句はこれパロディにして、悪夢を見た子猿が恐怖で叫んでいると詠んだものです。

 

 明治人は、新しく入ってきた知識を身につける一方で、明治以前の教養、すなわち、日本・中国の文学や歴史、また儒学や仏教の知識も常識として知っていました。江戸時代と明治時代は地続きなのです。とりわけ四明は人生の大部分を歴史文化の残る京都で過ごし、その空気を胸いっぱいに吸っていました。生涯の句が素っ気なく季題別に並んだ『四明句集』を読むと、古典を踏まえたり過去を空想したりした句なのか、彼の目の前に広がる明治の日本を詠んだ句なのか、容易に判断することはできず、不思議な絵巻物を陶然と見ている気分になります。


  菜の花や朱雀に到り右京尽く

  うぐひすや膝にさめたる火熨鏝

  祇園会の稚子並び行く朱傘かな

  相逢て人慇懃や更衣

  誰が入れし木魚の中に椿の実

  御室坊のさが坊を訪ふ菊日和

  夜興曳の今宵も雪や加茂の人

  口きりや名物帳もかたり草

 

 旧時代と新時代がゆるやかに混じり合う時代の、香り高く、ゆかしい言葉の数々に触れることのできる一冊です。また近年、根本文子氏による画期的な四明論『正岡子規研究 中川四明を軸として』(2021年、笠間書院)が刊行されています。四明に関心を持った方は併せて読むことをおすすめします。

 

 なお大阪俳句史研究会は、現在では入手が困難になった明治期京阪俳壇の資料を載録した『明治大阪俳壇史』を同時に刊行。これにより全11冊の「大阪の俳句 明治編」は完結しました。(編集部)