本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『上野貴子俳句全集 2011〜2020年』


  2021年6月
  プラスワン・パブリッシング
  定価:3520円(ペーパーバック版)


 

 「おしゃべりHAIKUの会」主宰の著者がライフワークとして毎日ホームページに掲載している俳句日記をまとめた一冊。俳句日記といえば高浜虚子が「句日記」という名前で自作を日付ごとに「ホトトギス」に掲載したことで生まれた形式で、以後の「ホトトギス」主宰はこの発表形式を継承していますし、他にも俳句総合誌などで俳人が一日一句詠んだ句を一カ月分並べる記事なども時折見かけます。ふらんす堂は年ごとに一人の俳人を起用して「俳句日記」を毎日ホームページに掲載しています。日常を題材とすることも多く、かつ短い俳句という形式は、日記との親和性が高いのでしょう。

 

 世にある俳句日記は、小文を添えたり、その日に詠んだ句をすべて載せたりと、その体裁はさまざまですが、上野氏の俳句日記は日付と一句だけというごくごくシンプルなもの。前書きがつくこともありますが稀です。飾りっ気のない、まさに「日記」という風情です。

 

 さて、『上野貴子俳句全集』には2011年から2020年までの句が収録されていますが、2011年といえば東日本大震災の年、そして2020年といえば日本国内で新型コロナウイルスの流行が始まった年です。日記は社会的な大きな出来事がリアルタイムでどのように記録されているかを確かめられるのが一つの興趣。上野氏の場合、2011年3月11日に〈天と地の怒りか春の宵迫る〉という句を詠んでいます。巨大な震災の報道に接して受けた心の衝撃をあらわに詠んだような句で、「迫る」という言葉の選択に切迫した心情が表れています。同じ月の27日の句〈震災の記事をかきわけ春探す〉は、地震・津波・原発の被害を生々しく伝える記事の多さに心が疲弊し、明るい出来事を伝える記事はないかと新聞をめくっていったという情景でしょう。悲惨な出来事の数々から目を背けたくもなった当時の日々が思い出されます。

 

 新型コロナウイルス関連の句が現れるのは2020年4月23日。〈まだ止まぬパンデミックに春ショール〉の句です。最初の緊急事態宣言の最中、国内の感染者の総数が1万人台、死者は100人台だった頃です。コロナ対策を前提として生活することが普通になった現在から見ると、2020年4月の段階で「まだ止まぬ」という感覚だったのは少し面白くもあります。2020年5月12日には〈五月晴れコロナ立ち去れ長丁場〉という句もあります。

 

 2018年12月23日の〈若者の波をかき分け聖樹まで〉という、クリスマスの街頭のきらきらしさ、にぎやかさが横溢する句は、新型コロナウイルスが発生するよりも前に詠まれた句ですが、クリスマスの夜の街に若者があふれ、それをかき分けるように歩くという情景は、遠い昔のことのようです。最近では人混みが見られる場面も徐々に戻りはじめていますが、今年(2022年)の8月、3年ぶりに開催された亀岡市の花火大会で駅に群衆が殺到し、パニック発生寸前になった際、インターネットではその現場の「密」なさまが槍玉に上がったことを思えば、現在、仮に想像であったとしても、人混みをかき分ける句を発表するのは憚られるかもしれません。2018年の日付を持つこの句を見て、そんなことを思いました。

 

 以上、震災とコロナというこの十年の大きな出来事を軸にページをめくってみましたが、とはいえ人は、四六時中社会を意識しながら生活しているわけではありません。2014年10月20日の〈いつからか予定のたたず花野原〉という句は、2022年の私たちが読むと、いつ出演者から感染者が出て公演中止になるかわからないので、観劇やコンサートのチケットを取るのを控えるようになったという世相が連想されもしますが、少々コロナに気を取られすぎのようです。病気がちなのか、はたまた多忙を極めるのか、何らかの事情で先の予定を立てられなくなった主人公が、絢爛たる花野に呆然と突っ立っているというのが、2014年の作者が意図したところでしょう。

 

 2017年10月3日の〈定まらぬ風は雲より白き秋〉は、陰陽五行思想で秋が白色と結び付けられることを踏まえた句。松尾芭蕉も『奥の細道』の旅で〈石山の石より白し秋の風〉と詠んでいます。気まぐれにあちこちの方向から吹いてきて体を縮こまらせる風は、白秋といわれる秋のこと、空に浮かぶ雲よりも白いのだ、という句です。この句は2017年に詠まれていますが、時事の句とは違って、2017年でなければ詠まれなかったということはなく、古人・芭蕉の句とも響き合います。カレンダーの中で生きる私たちは、知らないうちに、過去や未来と接点を持つことがあるのです。(編集部)