本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『天使』小島明句集


  2021年11月
  ふらんす堂
  定価:2500円+税


 

 

 生前には周辺の人にしか知られていなかった作者の佳作が、没後の句集によって知られるようになることが時折あります。この『天使』もそんな句集です。著者は2004年に夏井いつき氏のラジオ番組を通じて作句を開始した人物。白川宗道氏の句会「J句会」に参加し、詩人たちに混じって俳句を作っていました。昨年(2021年)に膵臓がんを発病し、わずか2カ月で死去。56歳でした。この句集は闘病中に本人が準備し、没後に家族や友人の尽力で刊行されたものです。

 

  みづうみの南の港さみだるる

  冬麗の岬に風の蒐まり来

  春雪の粥たてまつる墓もがな

 

 闘病中、氏は俳句仲間の関富士子氏へのメールに「敬愛する俳人たち(安東次男、飯島晴子、摂津幸彦、田中裕明など)と、個人的な対話を続けるようなつもりで、細々と句作を続けてきました」と綴っていたそうです。過去の名句と対話する彼の姿が、その俳句からも浮かび上がってきます。1句目は〈みづうみのみなとのなつのみじかけれ〉(田中裕明『夜の客人』2005年)、2句目は〈滝の上に空の蒼さの蒐り来(後藤比奈夫『初心』1973年)に学んだ句でしょう。3句目は〈春雪の水芸となるあはれかな〉(安藤次男『花筧』1992年)が念頭にあるように思われます。

 

  いぬたでもぽんとくたでも知つてゐて

  花火屑おほむね紅き棒であり

  ひひらぎの花と思へど云はざりき

 

 「いぬたでも」と「花火屑」はただごとのような句。「ひひらぎの」も、どうして「思へど云は」なかったのか、説明されていません。どの句もそっけなく、言葉少なです。どうしてこんなことに注目したのか、どうしてこんなことが俳句になっているのか、この静謐な言葉の空間を覗いた読者は、そこに奥行きを見ます。

 

  乃木坂の子と教はりし春着かな

  すつぽんを皆で見てゐる暑さかな

 

 1句目はお正月のテレビ番組に春着で出ている若い女の子。あれは乃木坂46の誰々ちゃんだよ、と教えられ、そのグループ名なら聞いたことがある、と得心します。2句目は吟行などでいかにもありそうな場面。言葉の世界に生きる人の句集という印象のこの一冊の中に、ときおり、実生活を垣間見るような句が挟まっています。

 

 〈松過ぎのがらくた市に水枕〉〈昼月の流されてゆく木の芽かな〉のような端正な句、〈覆はれてあるは九月の金管楽器(ブラス)かな〉〈狐とはああこんなにも痩せてゐて〉〈たかぞらは無季のごとしや鳥帰る〉のような派手な句、〈銀紙のやうな二月の海見えて〉〈定型の冬(樹の中に樹は眠り〉のような詩的な句……。句柄は幅広く、さまざまなタイプの句を読み、吸収することを楽しんだであろう姿が想像されます。同時に読者は、生前にはほぼ無名だったこの人の句集を読むうち、現代俳句の姿が映し出された鏡を見ているような思いが湧いてくるのではないでしょうか。(編集部)