本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『もみの木』深見けん二句集


  2021年10月
  ふらんす堂
  定価:2200円+税


 

 

 若き日に高浜虚子に師事し、生涯にわたって虚子を追求してきた伝統俳句の雄・深見けん二氏が、99歳で長逝されたのは、2021年9月15日のことでした。『もみの木』は生前に準備し、あとがきに自ら「最後の句集」と記した句集です。ちなみに句集表題の「もみの木」は、晩年にお世話になったケアホームの名前だとか。

 

 〈おん胸に問ひしあれこれ虚子忌来る〉〈わが撮れる写真も旧りし虚子忌かな〉といった穏やかな虚子忌の句の多さは、年を経るごとに強まっていった虚子への思慕の情の現れでしょう。虚子が没して六十年以上が経過する現在、虚子忌の句といえば、〈能衣裳暗きに掛かる虚子忌かな〉(小川軽舟『朝晩』2019年)、〈花ふかく鳥の溺るる虚子忌かな〉(佐藤郁良『しなてるや』2019年)など、虚子その人ではなくイメージを隠喩的に詠むものが大部分であって、当人の謦咳に接した経験を詠んだ深見氏の句を見るにつけ、氏が過ごした虚子没後の長い時間に思いを深くします。

 

 以前、氏のある句の中七が「日の当りたる」になっているのを見つけ、〈遠山に日の当りたる枯野かな〉(『五百句』1937年)という超がつくほどの虚子の代表句をそのまま裁ち入れる大胆さに驚いた記憶があるのですが、今回の『もみの木』にも〈広前もその頃となり菊花展〉という一句がありました。これもまた、有名な虚子の句〈自ら其頃となる釣忍〉(『五百句』)と中七がほぼ同一です。氏の頭の中には絶えず数々の虚子の句が響いていたのだとあらためて感じます。

 

 「ホトトギス」系の写生の魅力は、対象の様子をどのような言葉で切り取るか、その言葉選び・言葉運びの妙にあるという一面があります。『もみの木』を通読し、深見氏の熟練のに見入ってしまうことがしばしばでした。

 

  つづけざま鼠花火や路地の奥

  その中はがらんどうなり葛枯るる

  菰を出し二輪の影や寒牡丹

  ほんのりと梅雨夕焼のありしこと

 

 たとえばこれらの句の場合、描かれている情景自体は他愛のない常の景です。では、同じ景色を誰しもが氏のように詠めるかというと、おそらくそうではないでしょう。「つづけざま」という言葉の発見(一句目)、「その」という指示代名詞やささいなことを先に出し、描く季題を最後に示す詠みかた(二・三句目)、上五に軽い擬態語、中七に主眼となる季題を置いたあと、下五ではこれ以上新しいことを描き込まずに流す方法(四句目)……「ホトトギス」の作家たちが百年以上にわたって試行錯誤してきた集団知ともいえるセンスや方法の上に、これらの句が詠まれています。

 

  ここに又出会ひ頭の蟻と蟻

  寒晴や仏に近く椿見て

  芯までも青くつぶらな実梅かな

  二階から手を振つてゐる出水かな

 

 そのような熟練の技法で詠まれる写生句は、どこがどういいのだという説明は難しく、一句一句を何度も口ずさんで味わうことに尽きます。きっと深見氏も、こんなふうに俳句とともに過ごされた生涯だったのではないでしょうか。(編集部)