本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『創刊45周年記念「浮野」合同句集 観照一気』浮野俳句会


  令和4年9月
  浮野俳句会
  私家版


 


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 落合水尾氏が主宰する「浮野」は今年、創刊45周年を迎えました。落合氏は昭和12年に生まれ、昭和26年に作句を開始し、昭和31年に長谷川かな女の「水明」に入会、かな女の没後はかな女の娘の長谷川秋子に師事し、昭和52年に「浮野」を創刊しました。

 

 合同句集の表題になっている「観照一気」とは「自然観照の徹底による立体的な感興・感動を気とする平明切実なる写生句の道程」(「はじめに」)のことです。これまで多くの俳人が「写生」という俳句のキーワードに独自の定義を与えてきましたが、氏の「観照一気」論は、「立体」という感覚を重視することに特徴があります。

 

 この「立体」という言葉は、もともと、かな女の夫である長谷川零余子が提唱した「立体俳句論」に由来しており、かな女はこれを、「俳句は、マルを描いて、それに少し立体感をつけて、ご自身は、その影にそっといるように表現すればいい」と平易に言い換えました。

 

 落合氏の句を例にとって考えてみます。

 

 噴水のいただきに水はねてをり(落合水尾)

 

 という句は、噴水から出る水の勢いのさまを「マル」として描いており、その景の中でも「水」が「はね」るところを強調したのが「立体」にあたる、といえるでしょうか。

 

 黒ばらに近き紅ばらかと思ふ(同)

 

 という句は、「紅ばら」の色合いを「黒ばらに近き」と表現したところが眼目です。特に、「近き」という言葉で、黒とも紅ともいえない、むらのある視覚の感じ方を巧みに表しています。

 

 日本の空の長さや鯉のぼり(同)

 

 句碑にもなった代表句。普通、空は「広い」「大きい」といった言葉で表現しますが、風に流れる鯉のぼりからの連想で、「長い」と詠んでいます。鯉のぼりがあるからこそ「長い」という認識になっているわけです。人は描かれていませんが、それを認識している作者の姿が、「影にそっと」いるようです。

 

 さて、『観照一気』には、会員の顔写真、略歴、作品が掲載されているのですが、現在の会員のみならず、物故した主要同人も収録している点に見どころがあります。

 

 あはれ妻小春日和を賃仕事(角田紫陽)

 生涯を田舎教師や一茶の忌(同)

 十三夜清里といふ駅に降り(同)

 

 同人会名誉会長だった大正4年生まれの作者。昭和57年に没しています。1・2句目は「賃仕事」「田舎教師」という端的な言葉で人生を傍観するような句で、田山花袋の同題の小説『田舎教師』があるように、古きよき純文学の匂いがあります。

 

 3句目の「清里」は山梨にある小海線の駅で、山中にあることで有名です。「後の月」とも呼ばれる美しい月を夜の山で見た感慨が静かに描き出されています。「清里」という駅名から、眼前の駅前をいかにも「清」い「里」だと感じているのです。ちなみに片山由美子氏に〈木枯や星置といふ駅に降り〉(『天弓』平成7年)という北海道の駅を詠んだ句があり、美しい駅名に心を動かされるという発想を「~といふ駅に降り」と詠み天文と取り合わせる表現には、先蹤があったのかと驚かされました。

 

 林間学校下駄の焼印片減らす(相澤静思)

 白富士に片頬熱し遅ざくら(大野水会)

 行く春や生涯消えぬ鋏だこ(松本晴二郎)

 

 相澤氏は明治39年、大野氏は大正2年生まれ、松本氏は明治40年生まれで、それぞれかな女の時代から俳句を詠んでいました。明治・大正生まれの市井の俳人がまだ大勢いた時代が偲ばれます。

 

 林間学校で過ごす子どもたちの数日間の熱気を「下駄の焼印」の減り方で即物的に表現した相澤句、雪の残る富士山の存在感が頬に伝わるようだと感覚的に表現した大野句、歯科医師として邁進した人生を情感たっぷりに詠んだ松本句。さまざまな個性が「浮野」に集っていたことが窺え、同時に、秋子の没後、自身よりも相当句歴の長い先輩俳人たちを束ねた当時の落合氏の人柄と才気が想像されます。

 

 かな女の謦咳に接した会員の中で特にユニークだと感じられるのが、昭和6年に生まれ、本年(令和4年)に91歳で長逝した中村千絵氏です。

 

 とん汁熱し安田講堂地下食堂(中村千絵)

 スマホ放せよ薔薇園の二人連れ(同)

 木枯や彼の日の真赤なベネチアン(同)

 台風来真夜のシャワーを熱くして(同)

 

 おそらく老齢に入ってからの句から抄出されているのではないかと思われますが、自由な言葉選びでユニークなイメージを構成していく作風です。句集は昭和56年に『足拍子』を刊行しているきりのようですが、ぜひ他の句も読んでみたいものです。

 

 大利根の大橋の初茜かな(遠野翠)

 青銅の壺の底闇雁の声(梓沢あづさ)

 春動く学校前の文具店(江原正子)

 夏川や着しまま濯ぐ緋のサリー(鈴木寛一)

 平均台さはやかに身をきらめかす(松永浮堂)

 

 「大」という字の繰り返しと句またがりのリズムが気持ちよい遠野句、青銅の質感が伝わってくるような梓沢句、なつかしい情景と「春動く」という季語が響き合う江原句、「着しまま濯ぐ」という発見に魅力がある鈴木句、「きらめかす」という言葉が生きている松永句。会員が思い思いに詠んだ、さまざまなタイプの句が収められています。(編集部)