本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

水野真由美句集『草の罠』


  令和4年2月
  鬣の会
  定価:1000円(税込)


 

 「海原」同人、「鬣TATEGAMI」編集人である著者の第3句集。「鬣TATEGAMI」に掲載された連作を中心に編まれています。連作には知人・友人らの死を創作の契機としたと想像されるものが多く、それぞれの連作の冒頭には「二〇一九年七月一三日、永井克弘氏死去。コニャックというものを初めて飲ませてくれた。鯔背な鳶の頭であり日本酒を味わう前橋宴会・宴長にしてカントリーバンド「ミッドナイト・ランブラーズ」のスティールギター奏者でもある。永井さんがいると宴会でも御神輿でも酒場でも明るくなるのが不思議だ。「お、猫っ、飲んでるか?」」といった、著者の私的な記憶が掲げられます。

 

 著者の住む前橋の地に住んだ人々が主題になることが多く、多くの読者にとっては知るところがない人名ではありながら、その前書きは、「昨年五月、診断を受けた後も原稿を書き本を読み人と語り、また多くの袋物を製作」(瀬山由里子氏)、「昔々、高校にも学生運動があった」(松岡明氏)など、矜恃を持って生きたであろうことが伝わってきて強靱です。

 

 この連作冒頭の前書きは、かならずしも連作に配される句の表現と直接関連するのかどうかは不明瞭で、連作の句同士も表現の上で明確に連鎖しているわけではないのですが、却って、著者の頭に不定形なまま現れる「見えづらいモノやコト」(あとがき)の手触りを示しているようです。

 

 たとえば連作「こんな風に過ぎて行くのなら」は、「―久しぶりに電話をかけてきた友人がいう。/「浅川マキが公演先で急死したらしい。まだ詳細不明だけど」。/そして夕刊に死亡記事」という前書きではじまる8句連作で、最後の句を除く各句に数行の短文が添えられています。浅川マキは昭和40年代に出現したブルース歌手で、「こんな風に過ぎて行くのなら」は昭和47年の曲です。

 

 連作の5句目〈祖父の手に真鍮の、そして火の匂ひ〉には「大学祭にマキが来た。三〇分過ぎても始まらない。「待たせたわね」。新宿ピットインが現在地へ移転する直前の連続ライブ、事務所に予約の電話をしたら本人としか思えない声の人が出た」という短文が付されています。句と前書きの内容に直接の関連はありません。しかし、どちらも遠い記憶を断片的に喚起するような書きぶりであり、両者の世界は隣り合うことで融け合います。冷たい「真鍮」から熱い「火」へのイメージの飛躍は、遅れるマキを待つ胸の高鳴り、電話ごしにマキと話したのではないかというたしかめようのない興奮と、遠くで響き合うかのようでもあります。

 

 同時代をともに生きた他者への敬意の記憶に満ちあふれた、切ない一冊です。(編集部)