本の森

編集部へのご恵贈ありがとうございます
2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

布施伊夜子句集『あやかり福』


  令和4年12月
  角川文化振興財団
  定価:2700円+税


 

 神尾季羊・藤田湘子に師事し、現在は「鷹」の重鎮として存在感を示しながら、季羊の残した「椎の実」の代表を務める著者の第3句集。発想・言葉遣いはともに自在でありながら、芯のあるたしかな句が並びます。前句集刊行からかなり長い時間が経ち、その整理の困難は想像を絶するものだったかと推察されますが、選び抜かれた349句はどれも卓抜です。
 
 山の香に野の香勝りて鳥帰る           
 
 草樹や土、あるいはそれらを濡らす雨も含むでしょうか、山と野がそれぞれに香りを放っています。中七まで読むと、人が山と野のあわいに立って感じたことのようにも思われますが、「鳥帰る」という季語によって視点は一気に上空へと移り、あたかも帰ってゆく渡り鳥が、一つの季節を過ごしたこの国の国土のさまを確かめるように、その小さな体で大きく呼吸をしているような情景が想像されます。山よりも強烈に感じられるという野の香りは、まさに大地という存在の強靱さを思わせ、同時に、空をゆく鳥との対照があざやかです。
 
 橘の小戸の阿波岐のたばこ咲く
 
 「橘
(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐(あわき)」は『古事記』に残る古い祝詞の一節。現在の宮崎県に位置していた地名と考えられます。日本神話の地・宮崎は著者が生まれ、老年の現在までを過ごす風土。『古事記』では神を呼ぶ詞章がつづくこのフレーズを引用した上で、淡く、ささやかな、そして意外な煙草の花を配したのが巧みです。
 
 湘子忌やむさしあぶみも花のとき
 
 4月15日は師・藤田湘子の命日。むさしあぶみはサトイモ科の多年草で、武蔵国で作られた同名の馬具にちなみます。その花は暗く不思議な形をしており、決して華やかではなく、そしてなにより広く知られる花ではありませんが、このゆかしい名前と花の印象は、たしかになぜか湘子という大俳人の印象と響き合います。あたかも湘子を無骨な古人として連想しているかのようです。近年の句集の「湘子忌」の句としては、湘子から「鷹」主宰を継承した小川軽舟氏の〈湘子忌や嵐気すがしき箱根山〉(『無辺』令和4年)と双璧をなす句でしょう。
 
 うすものや唇一指もて封ず
 
 うすものを纏った女性が、おそらく男性でしょう、話している相手の話をさえぎり、「それ以上は言わない約束でしょ」などと相手の唇に人差し指を置いた景です。映画やテレビドラマではおなじみのシチュエーションで、それゆえに多くの読者が情景と物語を鮮明に想像することができますが、この景を17音に切り取ったのが洒脱で、思わず笑顔になります。「うすもの」という季語の斡旋も効果的で、また、「唇一指もて封ず」という軽やかさと格調をともに備えた古典文法の表現もいかにも魅力的です。
 
 丁寧に練られた言葉からは、上質なユーモアも生み出されます。
 
 竹の子や父の遺訓に時効あり
 
 父が亡くなって久しく、自分もまた老人になったいま、ちょっとくらい遺訓を破ってもバチは当たらないだろうと、読者にウインクするような句。「父の遺訓に時効あり」と、生真面目そうな言い方で詠まれているのが面白いです。「子」と「父」の対応は言葉遊びの風合いもあります。
 
 愉快なり味噌に刀豆突きさすは
 
「愉快なり」という大胆な切り出しとその対象の微妙なちぐはぐさがまさに愉快な句。こんなことまで愉快とは、なんて素敵な感性でしょう。
 
 善女らに生オリーブの実の渋き
 
「善女」と「オリーブの実」の渋さという取り合わせに滑稽味があります。「善女」は仏法に帰依する女性のこと。お寺にお参りした女性の一団が、帰り道に試食でもしているのでしょうか。
 
 神無月鴉もすなる意趣がへし
 
 頭の良い鴉のふるまいを擬人化した句。「男もすなる日記といふものを」という『土佐日記』の冒頭を踏まえ、全く新しい世界に作り替えています。
 
 豊年のあやかり福のすずめたち
 
 表題句。実りが多ければおこぼれにあずかる雀たちも喜びます。「あやかり福」は造語ですが、豊年のめでたさがにじみ出た言葉です。(編集部)