本の森

編集部へのご恵贈ありがとうございます
2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『恒心』大串章句集


  2021年7月
  角川文化振興財団
  定価:2700円+税


 

 

 2015年から2020年までの句を収める第八句集。句集名「恒心」とは常に持っている正しい心のことで、若き日に飯田龍太から与えられた「非凡にあこがれるより、常凡をおそれぬ恒心の確かさ」という批評に由来します。

 

  好きな句を言ひあひ林火忌を修す

 

 8月21日は師であった大野林火の忌日。かつての門弟たちで集まり、愛唱する林火の句をあれこれと挙げながら師を偲びます。〈本買へば表紙が匂ふ雪の暮〉(『海門』1939年)、〈ねむりても旅の花火の胸にひらく〉(『冬雁』1948年)など、純真な抒情に本領があった林火。本書の中の次のような句に出合うと、師の抒情を受け継いだ著者がいまなお「恒心」を持ち続けていることに気づかされます。

 

  初茜詩ごころ動き始めけり

  白鳥を見て来し少女ピアノ弾く

 

 一句目は、まだ明けきらないうちの元旦の茜空。荘厳な情景に接して、さっそく心は新たなる詩へと走り出します。二句目は、始終をつぶさに見てきたわけではなく、自由な想像でしょう。少女は白鳥の純白の美に心を動かされ、その感動を心に残したままピアノに向かっているようです。

 

  麦踏みの夫婦近づきては離れ

 

 この句は客観写生の名手・高野素十が詠んだ〈歩み来し人麦踏をはじめけり〉(『初鴉』1947年)と比較してみると特徴がわかりやすくなります。素十の句は、畑を眺めていたら人がやってきて麦踏みをはじめたという、それだけのことを見たままに詠んでいます。一方で大串氏の句は、麦踏みをしている人の動きを詠んでいる点では素十と似ていますが、近づいてはまた離れるという作業の様子をただ描写しているのではありません。〈夫婦近づきては離れ〉には、長年の夫婦の関係は山あり谷ありだったかもしれないという寓意が読み取れます。眼に触れるものに触発された心の動きが、詠む対象と融け合っている句といえます。

 

 〈受験子を励まし天気予報終ふ〉のような句が収録されていることからもわかるように、ユーモアのある句も著者の持ち味の一つです。この句集では、そのユーモアに哀愁が加わっているように見受けます。

 

  年酒酌み企業戦士の頃語る

  熱燗を酌むノンポリも左派も老い

 

 よく似た発想の二句です。「企業戦士」とは、会社に奉仕し、昭和後期の日本経済を支えたサラリーマンのこと。「ノンポリ」は、学生運動に参加する左派学生が多いなかで、政治活動に興味を持たなかった学生を指します。どちらも1960年代に盛んに使われた流行語であり、1962年に大学を卒業して社会に出た著者にはなじみ深い言葉でしょう。あれから半世紀以上が経ってしまったという人生の実感が微苦笑まじりで詠まれています。

 

 また、戦中戦後の記憶を詠んだ句も散見されます。

 

  思はざる寒さ満州よみがへる

 

 著者は小学生のころに満州で終戦を迎え、困窮した生活の続くまま、一年弱を経て命からがら日本に引き揚げてきた経験を持ちます。掲句は、冬の厳しい寒さに、俄然、かつて満州で体験した北地の生活を思い出したということでしょう。

 

 人生の年輪を重ねた大串氏の句風の広さが示された一冊です。(編集部)