本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『桜新町だより』西嶋あさ子・著


  令和4年1月
  瀝の会
  定価:2000円(税込)


 


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 昭和46年に安住敦に師事し、『俳人安住敦』の著作もある西嶋氏が、個人誌「瀝」や総合誌等に発表した随想・評論をまとめた一書。師系である敦や久保田万太郎の周辺の資料紹介、文語文法・有季定型・季語・こどもの歳時記etc.への意見、同時代を生きた俳句関係者の追想、面白いものでは、贔屓の本田圭佑への期待まで、さまざまなテーマの文章が収録されています。

 

 送り仮名を現代に通用する規則に統一することを師に提案した出来事をふり返る「俳句の表現寸感」、文人句会を楽しんだ万太郎の姿を資料から読み解く「万太郎の「いとう句会」のこと」、「にかな」の語法が昨今では誤用とされることに対して韻文的省略の観点から考える「高浜虚子・草間時彦は間違えたか」など、学ぶところが多く、同時に、著者の見識の高さに襟を正される思いがします。

 

 〈甚平や一誌持たねば仰がれず〉の草間時彦がたった一号で終わった個人誌を出していたという「草間時彦の一誌」、著者が「春燈」を退いた折、イジメにでもあったと想像した岡本眸から「何かあったら、私が言ってあげるからね」と声を掛けてもらったという「追悼 岡本眸さん」など、昭和から現代にかけての俳句界を振り返る貴重な証言も盛りだくさんです。

 

 本書のハイライトというべき一章は俳句史の欠落を埋めるピースの発見に立ち会った著者の興奮が伝わってくる「安住敦 未刊句集『母子園』原稿発見」。安住敦には、日野草城に師事した時期の『まづしき饗宴』(昭和15年)、『木馬集』(昭和16年)と、久保田万太郎に師事した時期の『古暦』(昭和29年)との間に、『句集中堅作家1』(昭和23年)というアンソロジーに寄せた「母子園」という99句があります(以下『中堅作家「母子園」』)。昭和15~19年までの句が収録されており、新興俳句時代の句ということになります。西嶋氏はこの『中堅作家「母子園」』に注目し、「瀝」平成26年夏号に、その内容を紹介する一文を発表しました。

 

 ところが昨年(令和3年)、安住敦の孫にあたる安住修氏のお宅から、昭和18年に成立したという未刊の『母子園』の原稿が発見され、著者を驚かせました。確定できるだけで213句を収めるという新出の『母子園』には小さな赤丸の付された句があり、その90パーセントが『中堅作家「母子園」』と重複するといいます。

 

 表題通りともに母子関係を詠んだ句が基調をなす未刊『母子園』と『中堅作家「母子園」』ですが、その差異は、前者の三分の一を占めていた戦争関係の句が『中堅作家「母子園」』ではほぼ採録されていないことです。未刊『母子園』は「宣戦大詔」「香港陥落」「敵機来る」といった章立てを持ち、各句には日付や長い前書きを持つものが多くあります。

 

  「宣戦大詔」

  昭和十六年十二月八日、おどろけば戦ひすでにわだつみにあり

  この国の大きみ冬の朝なりける
 

  「神々」

  昭和十七年七月七日、真珠湾攻撃部隊四十九勇士に対し二階級進級の公表あり

  夏日耀る自爆といふをおもふべし

 

 敦は昭和14年に「戦争俳句以外に現代の作家の仕事はないといふ突き詰めた考へ方、戦争俳句をつくらざるものは現実への関心がないのだといつた考へ方は何といつてもついていけない」という持論を述べていますが、著者はこの点について「数年の時間と世情の緊迫感に啞然とするしかない」「つくづく思うのは「戦争」の恐ろしさ、非日常性である。一人の俳人の姿勢を変えるだけではなく、人としての精神への影響、しかも一個人でなく個人を包む全体が雪崩を打って変わっていく様を、安住敦を見てもまざまざと示されることであった」と考えます。

 

 このような新資料が発見されたことにまず驚かされ、一読、安住敦、そして戦争期の俳句に対する見方が深まる貴重な論考です。新興俳句や戦争期の俳句に関心を持つ方は必読の一章ではないでしょうか。国立国会図書館等でお読みになれます。(編集部)