本の森

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2021年以後の刊行書から順不同でご紹介します

『長谷川素逝の百句』橋本石火・著


  令和4年2月
  ふらんす堂
  定価:1650円+税


 

 「ホトトギス」俳人・長谷川素逝を取り上げた一冊。著者は「青」「年輪」「ゆう」と昭和・平成の伝統俳句を代表する結社に学び、平成27年に「ハンザキ」を創刊・主宰した俳人。『犬の毛布』(令和2年)における〈捨ててある蕪より蕪の花が咲き〉〈干布団犬の毛布がその横に〉などの写生句も印象的です。「ハンザキ」でも長谷川素逝についての文章を書き継いできました。

 

 長谷川素逝は昭和初年代の京都帝国大学生時代から「ホトトギス」に投句し、昭和21年に39歳で没するまでの間に11回も巻頭を取った秀才でした。その名が高まったのは日中戦争期に砲兵少尉として中国に赴き、戦争体験に基づく句を投句するようになってからで、それらをまとめた句集『砲車』は高浜虚子に「内地に在つて戦を想像して作つた句とは比較にならぬ」と激賞され、聖戦を鼓舞する句集として広く読まれました。

 

 著者は「素逝の『砲車』は戦争賛美の句集ではない」と考えます。「敵兵への憎悪の句はあるが、中国民衆へ心を寄せた句もあり、戦友を思い遣った句もある」とし、日本軍の追跡を絶つべく蒋介石の中国軍が黄河の堤防を爆破した出来事を詠んだ〈氾濫の黄河の民の粟しづむ〉という句を「自軍の苦渋を句にするとともに、収穫時期を迎えた粟が黄河の濁流に呑みこまれていくことに、民衆の嘆きを聞いたのだ」と鑑賞します。

 

 素逝は戦後に刊行した定本句集に『砲車』の句をほぼ載せませんでした。その理由は従来、GHQの検閲を逃れるため、ないしは、戦争俳句を後世に残したくなかったためなどと推測されていますが、著者は「あの忌まわしい戦争を自分の記憶から抹消したいという思いもあったのではないだろうか」と推測します。昭和21年に義弟の戦死報が届いた際に詠んだ〈弟を帰せ  を月にのろふ〉という句は中七に伏字の箇所がありますが、これは「天皇」であったそうです。

 

 素逝は〈うたごゑのかなしく踊たけなはに〉〈炉ばなしの牛のお甚の子のおけい〉〈なんばんの葉の星明りかさといふ〉〈しづかなるいちにちなりし障子かな〉など、田園の人事や自然を詠んだ温和な句も多く残しました。著者はこれらの句も取り上げ、素逝のまなざしのありかたに思いを馳せながら、景を丁寧に鑑賞していきます。その筆致には素逝へのひたむきな尊敬の念が滲みます。(編集部)